reception 2

夢を見ていた。

白い部屋に ひらひらと揺れるカーテン

肩を掴まれる。

きらりと光を反射したカッター

何かを叫ぶ。

何かが割れる。

白い天井が視界に入る。

そして――――――――――

目を開けると、白い天井が視界に飛び込んできた。

夢の光景と重複し、飛び起きる。

「……っ…!」

怖い夢を見ていた。

動悸と冷や汗が止まらない。

気付くと右手が震えていて、それを抑えようと腕を抱えた。

「…はぁ、…は……」

呼吸を整えようとするが、上手くできずに喘ぐ。

酸素チューブを抜かれた金魚みたいだ。

(…違う、ここは、…ちがう、)

「あの場所」とは違う、と必死で自分に言い聞かせる。

(……ここ…どこ…)

今更ながら、そんな疑問に行き当たる。

白い部屋。白い屋根。仕切りのカーテン。

今自分が飛び起きたのは、白いパイプベッド。

(…保健室、)

どくん、と心臓が脈打つ。

(……でも、違う…!落ち着け…落ち着け…っ)

浅い呼吸を繰り返しながら、何気なく横を見る。

「……え、」

思わず声に出していた。

橋場が、そこに眠っていたからだ。

保健室に置いてある丸い補助椅子に座り、壁にもたれて眠っている。

その背後の窓から見える空は茜色で、随分長い事自分が意識を飛ばしていた事に気付かされた。

静かな寝息。

自分が最も警戒していたはずのひとが、自分の前でこんな無防備な姿を晒しているのが何となくおかしくて、じっとその姿を見ていた。

警戒なんて、随分な自惚れだな、と、頭の冷めた部分が囁く。

(…なんで、このひとは、おれなんか構うんだろう)

何か意図があるのだろうか。

拒絶されたから、懐柔させたいと考えているのだろうか。

不思議と、橋葉に接近されるのは、そんなに嫌ではない。

嫌ではないと言い切れるほど確信的なものではないが、橋葉に近づかれた時に感じる感情は、どこか他と違う。
きっと「人に接近されること」と嫌悪感を結ぶ回路が完成しすぎているのだ。
実際はそれほど嫌ではないのに、脳が「嫌悪すべきこと」とダイレクトに認識してしまう。

そのせいで、本当の自分が何を考えて、感じているかが分からない。

そんなことを悶々と考えていると、橋葉が目を覚ました。

あくびをしようとして、おれの視線に気付き、それを噛み殺す。

「わ、和泉、起きてたんだ… うわあ、俺みっともねー!和泉が寝てるのみてたら、いつのまにか寝てたよ…」

あまりに間延びした、気の抜けたその発言に唖然としていると、ふ、と真剣な表情へと変わった。

「…どうかした?」

「……ずっと、ここに?」

「うん」

「……なんで…?」

(違う…こんなことじゃなく、て…)

まずは、感謝の言葉とか、謝罪の言葉とか、色々と必要な段階を踏んでいない。

何を考えているのかが知りたくて、そんな好奇心を感じたのは久しかった。

「何でって…すっごいうなされてたから。保健医出張で居ないし…あ、もしかして授業とか気にしてる?俺は問題ないから気に病まないで?」

微笑みを投げかけながらそんなことを橋葉は言った。

そんな調子で話しかけられるので、調子が狂わされる。

思ったことを良く吟味もせず、口にしてしまう。

ずっと考えていたこと。

ずっと気になっていたこと。

「……ど、して、おれなんか構うの…?」

思っていたよりも大きな声が出て驚く。

静かな白い部屋に響き、それはデジャヴ。

何て返ってくるのだろう。

緊張しすぎて深い息をつくのと、相手の返事は同時だった。

「どうしてそんな風に考えるかな」

驚いて、思わず顔を上げた。

初めて、しっかりと視線が合った。

その顔には困惑の表情が浮かんでいる。

「メリットとか、打算とか、同情とか、そういうこと?俺はそんな事一切考えていないし、全部本心からだよ」

もちろん、他の人も、と付け足す。

その語気の強さで、自分が今怒られているのだと実感する。

「そんな泣きそうな顔しないで…。でも、本当に、もちろん俺もだけど、他の人だって、本当に和泉と話したがってたんだよ」

「……」

「俺がここに残ってたのは、和泉が心配だったから。どうして、自分への好意を否定するの?」

まさか

まさか本当に善意からの行動なのか。

まさか、これは本物の好意なのか。

「おれと居ると、不幸になるよ」

脳の指令より先に、口の筋肉が反応し発音する。

こんなこと、伝えるつもりは無かったのに。

「…?どういう意味?」

案の定、怪訝そうな顔をされる。

もう、どうでもいい。

皆、おれのことなんて嫌って、放っておいて欲しい。

張りぼての好意なんかを信じなくて済む。

「両親も…、親戚も…皆、不幸になっていったよ」

ぱた、と手の甲に何か暖かいものが落ちてきて、自分が泣いていると気付いた。

それでさえ、もうどうでもよかった。

「みんな、おれの所為で、死んだよ」

自嘲気味な笑いが一つこぼれると、とことん投げやりな気持ちになって、断続的な笑いが止まらなかった。

さぞ、不気味な光景だろう。

「おれもう、そういうの、ほんと嫌なんだよ、ね みんな、みんな、みんな、……何で、みんな、…っ」

突如、目の前の人影が動いた。

なに、と思ったその時には、身体が包まれていた。

頭が、おれのすぐ横に、もうひとつ。

肩とか、背中とか、手の回された所が暖かい。

「な…、」

「…失うのを怖がってたら、何も掴めないよ。 見るのを怖がってたら、何も見えなくなってしまう。和泉の手を掴んでくれるひとも、…和泉のことを見てるひとも…たくさん居るのに……!」

突然のことに驚き、脳がフリーズする。

けれど身体は正直で、じわりと涙が出てきて、視界を揺らがせた。

ずっと、長い間、どこかでそう肯定して欲しかった。

「何があったのかは良く分からないけれど、そうやって一人で頑張ってきたんでしょう。和泉の手を掴むひとも、見てくれるひとも、ここにはいるよ。当然、俺もそうだし。…俺じゃ不足する?」

首が無意識のうちに横に振られていた。

気がついたら、しゃくりあげて泣いていた。

「橋、葉が、嫌なんじゃないんだ。 ひとが、嫌なんだ…、集団で……それが…っ」

うん、うん、と頷きながら聴いてくれる。

何で出会って数日のひとにこんな事を話しているんだろう。

なんで、このひとはおれの事を、こんなにも無条件に肯定してくれるんだろう。

信じても良いのかもしれない、という考えが肥大化する。

考えというよりか、期待。

(…結局、おれが誰かを信じたかったんだ)

信じて、 頼って、頼られたくて。

そしてどんどん依存していく。

「じゃあさ、まずは俺とだけ仲良くなろう?そして皆にも徐々に慣れていけばいーよ」

『俺とだけ』をやたら強調する橋葉が可笑しくて、無意識のうちに笑っていたらしい。

「あ、やっと笑った~」

そう言われて、最後に笑ったのが思い出せない位、自分が笑うという動作をしていなかったことを思い出す。

いつか、ちゃんと、自分のことを話せるときが来るのだろうか。

理解してほしいなんて、初めて感じた。

こんなにおれのことを肯定してくれている橋葉も、全てを聞いたら、おれの前から居なくなってしまうかもしれない。

恐怖に似た焦燥に駆られ、顔をあげると、そこには橋葉が微笑んでいた。

なに?という目。

全てを受け入れてくれそうな目。

微笑まれているのは、おれで。

優しい言葉をかけてもらえてるのもおれ。

好意の返応性という言葉がある。

それでも、好意を寄せてもらえているという現実が嬉しくて、その日、あの夢の続きを見ることは無かった。

〈reception II:END〉