フロック

すれ違う事実と事実。

和泉が二日も学校に来ていてない。

もともとかなりの長い期間埋まっていなかった空席は、まるでその状態がスタンダートであるかの様に自然で、気に留められることは少なかった。

でもかつての「空席」は、今は自分の「隣席」なのだ、と橋葉は思った。

二日の間に配られた集配物は無造作に和泉の机に突っ込まれている。

―――――届けに、行こうか。

提出が必要な課題もある。模擬試験の申し込み用紙もある。

ばらばらに詰め込まれたプリントを一枚一枚取り出し、まとめながら丁寧に折っていく。

届けないと、そんな無理やりな使命感にも近い衝動を抱えながら、なおも折り続けた。

届けに行こう。

プリントを全て折りたたみ終える頃には、その衝動は今日の予定に組み込まれていた。

和泉の家に行こう、そう決心したものの、住所はおろか和泉の携帯番号さえ知らないという事実が問題だった。

担任に尋ねてみても、相変わらずの疲れた声で個人情報だから、と突き帰されてしまった。

「サポート」も、そこまでは要求されていないらしい。

教室を見渡す。

この中に和泉の携帯番号を知っている人が居るとは思えない。

こうなったら、最終手段だ。

能面のような薄笑いを浮かべる友人の顔が頭に浮かんだ。

「それで、俺の所に来たの?」

「お前なら、生徒の住所位手に入るんじゃないか」

頬杖をついた五十嵐は、いつもの表情で俺を見返した。

「って言ってもねぇ・・・さすがに住所まで生徒が把握してたら、この学校の情報管理甘すぎじゃないかねえ」

窓の外に視線が逸らされる。

胸に落胆の色が滲んだ。

教員も駄目、五十嵐も駄目なら今日の予定は成立できないだろう。

「でもまあ」

思い出した様に五十嵐は呟いた。

「ちょっと頑張って見るけどねえ。おまえさんの頼みだし」

「出来るのか?」

「出来るとは言い切れないけど、手を打ってみようじゃないか」

窓の外に向けられていた視線が橋葉を捉える。

「有難う、今度コーヒーでも奢るよ」

丁度良くチャイムが響いた。

じゃあ、と言って立ち去ろうとすると、五十嵐に呼び止められた。

「コーヒーじゃなくて、パフェにしてくれる?」

甘党な狐。

似合わなすぎる。

そして放課後。

五十嵐の居るC組まで行こうと教室を出ると、丁度そこには五十嵐が居た。

入れ違いにならなくて良かった。

どうなった、と聞く前に五十嵐が口を開いた。

「おまえさん、感謝してくれよ」

そう笑みまで浮かべながらメモを掲げられる。

「悪用しないのと、俺が付いていくのが条件ですけどね」

軽く笑いながら橋葉はメモを受け取った。

丁寧な字で住所と最寄駅が書いてある。

「助かるが、恐ろしいな。一体誰から聞いてるんだ」

五十嵐はそれには答えず、曖昧いつもの狐顔で沈黙を埋めた。

「さて、結構遠いし行くとしますかね」

明らかにはぐらかされるのはあまり気分の良いものではない。

ただ、それを知ったからといってどうなるわけでもなかった。

「そうだな」

気付かないふり、というのは最善の選択だろう。

メモに記された住所は学校からかなりの距離があった。

和泉の家は、電車を二度乗り換え、駅から徒歩20分程の住宅地にあった。

閑静な住宅街。ゆるやかな上り坂を登った先。

「ほんとに、こんな所から通ってるのか」

遠すぎないだろうか。

メモを見た時からずっと浮かんでいた違和感だった。

学校なんて他にいくつもある。

どうしてわざわざこんな時間を掛けて、登校しているのか。

「少なくとも、この住所で学校には提出されてるねえ」

と、表札を確認しながら前を歩く五十嵐が立ち止まった。

「・・・ここじゃないか?」

左手のメモと表札を見比べながらそんな風に呟く五十嵐。

それに倣って視線を向けた時、橋葉は思わず眉間に皺を寄せた。

表札に、『妹尾』とある。

「苗字、違うけど」

「ああ、言い忘れてたよ。和泉って両親と暮らしてないらしいんだよね」

何と言うことも無さそうに五十嵐は言った。

無論、初耳。

「どうして」

「学校の事務室なんかにそこまでの情報提出義務はないからねえ。和泉の実家、もっと遠いとかね」

親戚の家、という事になるのだろうか。

とすれば、おそらく此処が、和泉の家、という事になる。

納得のいかない思いはあったが、これが頼りで、事実だった。

結局は和泉のことなんて、俺は全く知らないのだ。

見上げる程の高さの家だった。

横を見ると、既に五十嵐は目を細めて屋根を仰いでいた。

窓はしっかりと閉じられてて、まるで外の世界と遮断されているようだった。

生活感がまるでない。

「立派なお家だねえ」

「ああ」

言葉では言い表せない違和感が、橋葉を包んでいた。

何とかそれを形容しようとして、けれどどうにもうまく表現できなくて、言葉に詰まった時、背後に人の気配を感じた。

五十嵐もそれに気付いたようで、視線は橋葉を越え、さらにその後ろへ向けられていた。

それにつられて振り替えると、自分の想像より遥かに近く、一人の女性が立っていた。

買い物帰りだろうか、バスケットを携えて。

「どちら様?」

警戒心だらけの声で、目の前の彼女は呟いた。

化粧気はなかったが、綺麗なひとなのだろうと窺えた。

しかし痩せ過ぎて居るのと、はっきりと見て取れる目の下の隈で、病的な印象も受ける。

「妹尾さんでいらっしゃいますか」

「・・・ええ」

「ここ、和泉・・・直矢さんのお宅ですか」

ぴくりと、眉が動いた。

怪訝そうに、不快感を剥き出しで見上げられた。

「だったら、何ですか」

このひとと和泉の関係は何だろうか。

綺麗だが、和泉とは質が違った。

和泉の無機質な綺麗さは、けれどその中に人間らしい芯が一本あるような気がする。

けれど、目の前のこの女性、妹尾は、何か違う。

直感でしかないが、はっきりとそう感じた。

「二日も休んでるんで、集配物とか、」

沈黙が包む前に、と橋葉は口を開いた。

「あの子なら」

しかし橋葉の説明に覆い被せる様にして、まるで独り言の様に妹尾は呟いた。

「あの子なら、死んだわ。あの子は、死んだわ!」

突然の彼女の叫声に、二人が唖然としたのは言うまでもなかった。

普段驚くなんてことがない五十嵐まで、狐につままれたようになって彼女の声を聞いていた。

「あなた達、あなた達誰よ。何しに来たのよ」

静かな住宅街に、彼女の声が響いた。

先ほどの様子とは一変した彼女は、スイッチが入ったかのように感情的になり、橋葉の襟元を掴んだ。

「!」

「何なのよ、あの子なら居ないわ。死んだのよ!」

五十嵐が妹尾を引き剥がそうとするが、手加減せざるを得ない為苦戦する。

「ちょっと、・・・落ち着いてください、」

橋葉も彼女の腕を掴んでみたものの、力任せに突き飛ばすわけにはいかなかった。

どうするべきか分からず、この異常とも言える自体に脳がフリーズしていた。

その時だった。

「小百合さん!」

四人目の声が突如上がった。

その人は『和泉の家』から慌てた様子で飛び出して来て、妹尾の肩を引いた。

「小百合さん、落ち着いて。買い物から帰って来ないので心配しましたわ。家に入りましょう」

(このひとは、妹尾小百合さん、・・・っていうのか)

四人目の女性は諭す様に妹尾に語りかけ、器用に、自然に橋葉と妹尾を引き離した。

「あなた達、ごめんなさいね。お引取りくださいませんか」

女性はそう言い残して、まだ何かを呟いている妹尾の背を押し、家の中へ消えていった。

あっけにとられて暫くは呆然とその入り口を眺めていた。

分かったことは、和泉は事実とは異なる書類を学校に提出していたという事だけ。

わずか10分もない間だったが、何時間もそこで過ごしたような、強烈な印象と疲労感だけが残っていた。

<フロック:END>

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