レイニー

#南条x五十嵐

「先生、これ」

登校時間より一時間以上早く、まだ鍵も開いていない様な校舎。
教員も集まりきっていない時間帯の保健室に、南条と五十嵐は居た。

昨夜から降り止まない雨音を耳に流しながら、五十嵐はA4サイズの茶封筒を取り出した。

「思ったより早かったですね」

そう言いながら中身を取り出し、調査報告書と数枚の写真を交互に見比べる。
待ちきれずに、五十嵐は口を開いた。

「やっぱりあの家・・・学校に提出された住所には、和泉は住んでいませんでした」
「・・・その様ですね」

机の上に二枚の写真を置く。
アパートらしき建物の入り口に入っていく和泉が写っていた。
どちらも、長身の男の背中を追っている。

「このアパートの名義は妹尾貴樹。きっとこの背の高い人ですよね」
「おそらくそうでしょう。見覚えがあります」

暫く無言で調査報告書を読んでいた南条が突如声を上げた。

「あの家の所有者は、妹尾佳宏。・・・この人物と妹尾貴樹の関係って?」
「読んでいくと分かりますが、親子です」
「・・・・幸喜、調査結果を覚えているならそれを教えてください」

読むのが億劫です。南条はそう言って報告書を机に投げ出した。
自分だけが知っている、この南条の我がままぶりが五十嵐は好きだった。

こほん、と咳払い。
じゃあ、とわざとらしい前置きの後、五十嵐は続ける。

「まず、和泉の両親は11年前に他界していました」

南条の眉が微かに動く。

「和泉の母方の兄夫婦に引き取られる事になったのですが・・・それが、あの家です。妹尾佳宏さんの家ですね。どういう訳か、そこの夫婦は現在別居中です。妙な事に、家の所有者である佳宏さんは親戚や友人の家、ホテルを転々としているのに対し、佳宏さんの妻・・・小百合さんは自宅に住んだままです。おまけに精神を病んでいる。二日に一回カウンセリングの先生を自宅に招いています。」

何と言うか、異常だ。
南条に説明しながら、五十嵐はそんな思いに包まれていた。
こんな不自然に不幸なものを、和泉は抱えているのか。

「幸喜達が会ったもう一人の女性が・・・そのカウンセラーだったんですね」
「多分。そして2年ほど前から、和泉は妹尾貴樹さんのアパートで暮らしています。・・・ごめんなさい、正式な依頼じゃないのでこの辺が限界だそうです。」

とんでもない、と南条は顔を上げる。

「いいえ、有難う御座いました。後は自分で何とかなります」

そう言ってにっこりと微笑む南条。
柔和な笑顔の裏には魔物が住んでいる事を五十嵐は知っている。

少し考えるようなそぶりを見せ、そして溜息。

「山辺前校長が私に話した和泉くんの話は全くの嘘だと分かりました。・・・けれど、あの映像で、痣や傷跡が確認できたのも事実ですし、虐待があったとしたら妹尾宅か、あるいは・・・」
「山辺前校長の息子による暴力」
「・・・と考えるのが自然な気がします。警察沙汰になり自身の身が危うくなるのを避ける為、和泉君を推薦として入学させた。・・・歪んでいますが一番自然な気がするのですが・・・」

南条には、まだ何か腑に落ちない所がある様だった。

「というと・・・?」
「・・・この流れだと、妹尾家全体の異様な状態を説明できません。なぜこんなにバラバラなのか・・・」

何条は眉間を揉んだ。
真剣な考え事をするときの南条の癖である。

「・・・まあ、その件は和泉と無関係って線もありますからねえ。そんなに気にしなくても良いんじゃ?学校の情報番的には、正確な住所と大体の家庭環境が分かれば十分なんでしょう」
「私が気になるんです。・・・まあ何にせよ、感謝をお伝え下さい。ここまで分かっていれば、私でも調べようがありますから、気が向いたら取り掛かるとします」

気が向いたらなんて言って、きっと今夜には動き出すんだろうな、と五十嵐はぼんやり考えた。

(・・・そんなに、和泉が気になりますかね・・・)

小さな苛立ちが湧いて来るのを感じていると、突然何条は吹き出した。

「ぷっ、ははっ!幸喜、今、あなた考えている事がそのまま顔に書いてありましたよ!」
「なっ・・・」
「当てて差し上げましょうか」
「いっ、いいです!遠慮しときます!」
「そんな、遠慮しないで。ほーらこっち向いて」
「な、何なんですか、急に・・・」
「心配しなくても、あなたが一番ですよ」

かあっ、と、顔に血が上るのを感じた。

目の前には南条の微笑み。
眩しそうに目が細められている。

この視線に、弱い。

「・・・先生は、ずるい」
「え?誰が、何ですって?」
「何でもありません」

顔を背けると、南条はまた笑った。
それが落ち着くのを待って、五十嵐は言う。

「先生、俺はこれを橋葉にも伝えますからね」
「・・・止めはしません。が、これはあくまで和泉君の話だと言う事を忘れないで。こんな形で人の過去を覗く様な権利も、ましてやそれを誰かに伝える権利も、当然ながら私達にはありません」

沈黙が保健室を包んだ。

南条には、『絶対的な情報管理』という大義名分がある。
けれど、本来ならこんな事、進んですべきではないのだ。

「・・・分かってます」

何が正しいのか。

雨は、一層勢いを増した。

#橋葉x和泉

雨、雨、雨。

昨日から降り出した雨はその勢いを衰えさせる事無くアスファルトを叩いていた。

「でさぁ、昨日の試合で・・・」
いつも完全登校時間ぎりぎりにやって来る和泉の席は、いつも通りまだ空席で。
そこに西沢は腰掛け、なにやらサッカーについて熱く語っている。

橋葉や村野が居る所為か、西沢は自分の教室より先にこの教室に来る。
そして朝のホームルーム直前に、次教室に向かうのだ。

「まじかよ!すげーな、それ」
自分はしないが見るのは好き。そんなサッカー観戦好きの村野がそれに応じる。

「橋葉昨日の試合見てないの?ライブ中継やってたじゃん」
頬杖をついたまま、首を横に振る橋葉。
「スポーツ観戦っておもしろい?次の日のニュースで分かるじゃん、結果」
「えー!なにそれっ」
「うっわあ~これだから橋葉は!つまんねー大人になりそー」
やだやだ、と村野は外人の様に肩をすくめた。

「・・・それにしても、凄い雨だね」
橋葉は窓の外を見やった。
大粒の雨の勢いは衰えを知らない。
風も強い様で、雨粒は窓にまで打ち付けられている。
まだ8時過ぎだと言うのに外は夕方の様に暗かった。

(・・・和泉、早く来ないかなあ)

もういつもなら来ている時間帯。

「俺傘差して来たんだけどさあ、ほら見てよ、これ」

そう言って自分の制服ををつまむ村野。

「傘差した意味ねえっつの」

確かに、濡れたシャツが皮膚に張り付いている。

「濡れた制服って気持ち悪いよね~」

雨に濡れるのは大した事無いが、濡れた服を着続けるのは不快感との戦いだ。

「部活も出来ないし、さいあくなんだけど。早く梅雨明けしろ~!」

そう叫びながら天井を仰いだ西沢は、視界の端に人影を捉えた。

「あっ、和泉!」

和泉、という声を聞いて西沢の視線を追う。

教室の入り口には和泉が立っていた。

いきなり名前を呼ばれたからか、驚いた表情をしている。
西沢と村野に手を振られ、困った様に首をかしげながら、こちらに歩いてきた。

顔色が、酷く悪い。
普段も良いとは言えないが、今は蒼白といった感じ。
さらに近づいてくるに従って、顔色以外も見えてきた。

それを口に出したのは西沢だった。

「和泉どうしたの!?なんでそんな濡れてんの!?」

掴み掛からんばかりの勢いで西沢に近づかれ、和泉はぎょっとした様に背筋を伸ばした。
気圧され、半歩下がる。
「西沢・・・っ」
和泉が怯えている様に見えて、慌てて西沢の襟元を引く。

けれど、そんな西沢の反応も無理は無いほど和泉はずぶ濡れだった。
村野の比では無い。
シャツは完全に肌に張り付いているし、ズボンも濡れて変色している。
髪の毛も、シャワーでも浴びたかの様に水が滴っていた。

机に置かれた鞄も、水を大量に吸っている。

#橋葉x和泉

「和泉・・・?」

声を掛けても反応は無い。

まるで、何も聞こえていないみたいに。

「和泉ってばっ、」

焦れったくて、ぼんやりと立ったままの和泉の腕を掴む。
長袖のシャツにはじっとりと水が染みていた。

「橋・・・、」

はっとして、目が合う。
髪の毛から滴った水滴が、手の甲に落ちた。

その瞳は、不安定に揺れている。

「和泉、どうしたの?・・・大丈夫?」

暫く、視線が交差したままだった。

「・・・ちょっと、転んで・・・。それだけだから、」

それだけな訳が無い。
そう思ったが、追求したところで和泉が話をするとは思ない。
そうなんだ、とだけ呟き、会話を終わらせる。

微妙な沈黙を壊したのは村野。

「いっ、和泉、タオルとか、ある?もし無いなら、無かったら、これ使って」

いつの間にかタオルを用意してきた村上が、薄い緑のスポーツタオルを差し出す。
えっ?と和泉は顔を上げた。

「俺、村野。この学校ではレアなチャリ通だからさ、濡れるかなって思って持ってきてたんだ」

「・・・いいの?」

「俺まだあるし。使って使って」

おずおずと手を伸ばした和泉は、そのタオルを受け取った。
ありがとう、と呟く。
それを聞いた村野の顔が真っ赤になるのを、橋葉は見逃さなかった。

(・・・俺とだけ仲良くなろうって、言ったのになぁ)

ふと我に返って、こんな事を考えている自分に心底驚いた。
『俺とだけ仲良くなろう』と言ったのは自分だが、『皆にも徐々に慣れていけばいい』そう言ったのも自分だ。
何となく自嘲的な気持ちになる。

「じゃあさ、シャツだけでも着替えたほうが良くない?あっ、僕西沢ね。よろしく~」
そう言って無邪気な笑顔。
いきなり複数の人に話し掛けられ、和泉は困惑ぎみだ。

おもむろに指定ジャージを鞄から引っ張り出した西沢は、はいっ、と和泉に手渡す。

「どうせこの雨じゃ部活ないし。気にしないで着て?」

村上のタオルは比較的すんなりと受け取ったのにも関わらず、体操着となると和泉は渋った。

「何?和泉自分の体操着あったりする?」

「そ・・・ゆう訳じゃ無い、けど・・・」

「じゃあ!こんなにびしょびしょじゃ、風邪引いちゃうよ」

どうしてこんなに渋っているのか。
大方遠慮しているのだろうけど、少しくらい甘えても良さそうなのに。

「和泉、借りなよ」

結局、和泉への心配の方が勝った。
この際、誰と話してたって構わない。

「冗談抜きでこんなに濡れてたら、絶対冷えるよ。ここは西沢に甘えて、借りちゃいなって」

「・・・ん、・・・」

渋々、というより恐る恐る、と言った様子で、和泉は体操着を受け取った。
躊躇いながら、袖を通す。

「違うって!」

悪気は無い西沢の大声に、肩をびくりと震わせる和泉。

「濡れたシャツの上から着たら、意味無いじゃん。半袖のも貸すから、そんなの脱いじゃいなよ」

「え、っ」

「女子じゃあるまいし、上くらい此処で着替えたって大丈夫でしょ」

ほらほら、そう言いつつ、西沢は和泉のシャツに手を掛ける。

あっと思った時にはもう遅い。

小さく声をあげ、短く息を吸った和泉は、西沢を突き飛ばしていた。

机と椅子、それに西沢がぶつかる音で、数人の視線が此方に向く。

「・・・はっ、や・・・っ、やだ・・・っ」

ふらりと上体が傾く。

「和泉っ、落ち着いて、」

慌ててそれを支えたが、和泉の呼吸は乱れたままだった。

何かを言いたそうな西沢の顔が上がるのと同時にチャイムが響き、担任が教室に入って来た。

「ほら、席付けー。出席取るぞー」

前方でそんな声がするのに従って、ざわざわと煩かった教室が徐々に静かになる。
椅子を引く音だけが響く中で、ふいっと顔を逸らした西沢は、教室を出て行った。

橋葉と村野は、顔を見合わせる。

「後で何とかしとく」
村野が小さな声でそう言うので、橋葉も和泉には聞こえない様に答えた。
「頼んだよ」

苦しげに息を吐く和泉を何とか席に座らせて、会話は終わった。

#橋葉x和泉

「和泉・・・?」

今日の和泉は、どこかおかしい。

名前を呼ばれてこちらに顔を向けたが、視線は合わず、和泉は俯いたままだった。

「ごめん・・・なさい。おれ、・・・」

両手で膝の上の体操着を握り締める和泉。
その表情は、今にも泣き出しそうなそれで。

「それは、西沢に言ってね。あいつこれ位じゃ怒んないから、大丈夫だよ。・・・シャツ脱がなくても良いから、それ、借りたら?」

ちいさく頷き、西沢の体操着に袖を通す。

村上のタオルで髪の毛を拭く。

――――俺は、何も出来ないし、何も知らない。

和泉はぐったりと背もたれに体重を預けている。

「・・・という訳で、一限は自習となるから、各自必要なものに取り組むように」

そんな担任の声が聞こえ、どこかで歓声が上がる。

「和泉、一限自習だってね」

何とか会話の糸を見つけようと話しかけるも、和泉の反応は無かった。

一限開始のチャイムが響く。

それすらも聞こえないかの様に、和泉はきつく目を閉じた。

#橋葉x和泉

30分は経っただろうか。

黙々と課題を進めていた和泉は手を休め、左肘を机に立て俯いた。

左手を、口元に押し付けている。

「和泉?」

「・・・はし、ば」

掠れた声。
相変わらず顔は真っ白だった。

「気分悪いの?」

顔を覗き込むと、泣いたような目で見返された。
そして和泉はゆるゆると首を振る。

「平気。・・・大丈夫」

大丈夫な訳がない事は、想像に易かった。
その証拠に、再びシャーペンを握る気力も無いのか右手は鳩尾の辺りを押さえている。

「どうせ今自習だし、保健室行ったら?・・・ね?」

首を振り続ける和泉を宥めるようにそう言った。
明らかに体調を崩した和泉は、けれど、頷いてはくれない。

「・・・何なんだろう、ね、大丈夫だから・・・ほんとに、」

自嘲的にそう呟きながら吐き気と闘う和泉があまりに辛そうで、思わず背中を擦っていた。
薄い背中は、背骨の形がはっきりと分かった。

大丈夫、という言葉とは反対に、徐々に体調が悪化していくのが見て取れる。
濡れて冷えた所為もあるのかもしれない。
もう完全に机に突っ伏していて、それでも懸命に呼吸を整えようとする和泉が見ていて痛々しかった。

「なあ、雨凄い事になってるぞ!」

もう一度和泉を説得しようと口を開きかけたその時、どこかでそんな声が上がった。

「本当だ、凄い雨・・・」「電車止まるんじゃねー?」「えー、困るよぉ、それ~」

その声に誘発され、口々に皆が呟く。

「雨粒も、かなり大きくない?」

誰かがそう言い、立ち上がり、窓に近づく。
嵐の日の園児よろしく、はしゃいだ様な彼は窓を開けた。

冷たい、それでいて湿度の高い空気が頬を撫でる。

雨の音が、一層大きく感じられた。

鼻につくオゾンの匂い。

手の平の下、華奢な体が震えるのを感じて我に返る。

(・・・っ!)

ぎょっとした。

驚くほど血の気の失せた和泉ががたがたと震えていた。

「は、・・・っ橋、や、やだ、嫌・・・っ」

「和泉っ!保健室行くよ。お願い、行こう?」

と、急に騒がしくなったこちらに興味が湧いたのか、窓の外に向けられていた視線が一気に刺さった。
相変わらず、規則的な雨音が響いている。

「橋葉、そいつどうしたの?」

空気を読まない投げかけに、頭に血が上るのを感じた。

「具合悪いみたいだから、保健室連れてく」

捨てるようにそう言った。
真っ直ぐ立つのもままならない和泉を引っ張りながら、逃げるように教室を出た。

#橋葉x和泉

「和泉、トイレ行こう?歩ける?」

保健室まで持ちそうに無い。

そう判断して、行き先をトイレに変えた。

細い腕を引くと、抵抗もせずに従う。
背中を丸めて、ふらつきながらついて来る様子からして、いつ吐いてもおかしくない。

何度か一層体を折りえずく。
その度に大きな瞳から涙が伝って、自分が代わってやりたい、と心から思った。

こんなに苦しいなら、いっそ俺が。

こんな風に考えたのは初めてだった。

トイレに入り、真っ白な洋式便器の前に崩れた瞬間、和泉は堪えてきたものを溢れさせた。

咽喉がびくりと跳ね、咳き込みながらも吐瀉物は便器に叩きつけられる。

「っぁ、・・・ぅ、ゲホッゲホッゲホ、はっ、はあっ、・・・っ」

もともと濡れていた髪の毛は、汗で額に張り付いていた。

乱れた呼吸の合間に苦しげな嗚咽。

酸の匂いで催すかもしれない。

そう思って左手を伸ばし、ボタンを押して水を流した。
右手は、和泉の体温をダイレクトに感じている。

水を流している間にも、和泉は再び戻した。

「和泉、全部吐いていいから」

吐き出された胃液が糸を引いて唇を伝う。

やけに赤い唇に、なぜか目が引き寄せられた。

#橋葉x和泉

嘔吐衝動が治まった和泉を、引きずる様に保健室に連れて行った。

和泉は一番奥のベッドに収まり、背を丸めている。

ずぶ濡れだった制服は、カーテンの奥で着替えたらしい。

どうしてそこまでして着替えを拒むのか、全く理解できなかった。

「和泉、お願い」

備え付けの椅子に座り、和泉に話しかける。

緩慢な動作で顔を上げた和泉と、目が合った。

「無理しないで」

「・・・え、っ?」

「何で最初に保健室行こうって言ったとき、頷かなかったの。体調悪いの隠さないで」

お願いだから・・・そう祈るように呟くと、和泉はぽつぽつと口を開いた。

聞き取れない位の小さな声で。

「雨・・・苦手なんだ」

(苦手?・・・雨が?)

それと、これと、どう関係があるのだろう。

その思いを察したのか、和泉は「それで、」と付け足した。

「もし、誰も居なかったら・・・。保健室に誰も、居なかったら、一人で居るの・・・怖くて」

最後のほうは、涙声だった。

「そんなの・・・」

思わず上げてしまった大声に、和泉は驚いて目を見開いた。

涙が一筋零れる。

「居て欲しいなら、俺に、言えばいいんだよ。そうしたら、一人じゃないじゃん。・・・断ったりしないから。絶対」

驚いた顔のまま、和泉は涙をまた一筋流した。

この自己肯定感の低さは、どこから来るんだろう。

どうして、こんな簡単な事が、浮かばないんだろう。

「和泉、泣いてばっかだね。・・・寝てなよ。休んで」

「・・・うん」

また来るから、そう言ってカーテンを抜けた。

そこに居たのは、五十嵐だった。

「五十嵐・・・?なんで此処に?今、授業中・・・」

予想もしていなかった登場に、頭が回らなかった。

ふ、と目をやると、そのさらに向こうに南条が居る。

諦めに近い、何とでもとれる表情で。

「おまえさん、知りたくないのか?」

歩を進めながら、ひそめた声でそう五十嵐は切り出した。

「知りたくないのかって、何の話だ・・・」

「和泉の事だよ!」

「幸喜!」

南条が大きな声を上げた五十嵐を窘めた。
それは、カーテンの奥に、聞かれては困る話と言うこと。

引っかかりを感じる。

(今、呼び捨てに・・・?)

橋葉の引っかかりを他所に、五十嵐は話を進める。

「和泉の話。・・・前に聞いてきたじゃないか」

「・・・それ、五十嵐は、知った、って意味だよな」

どうして。
なぜ、今、その話をを。

「ああ。知った。橋葉がもう一回聞くなら、俺は答える準備ができている」

「それは・・・和泉が知ったら困る様な内容?」

「・・・かもしれない。だから、聞くなら場所を変える」

「それなら、いい」

それは、五十嵐にとって予想外の反応だったらしい。
驚愕が顔一面に滲んでいた。

「どうして」

「和泉が知られたくない事は、知りたくないから」

知る必要も感じない。
納得のいかなそうな五十嵐に、そうきっぱりと言い放った。

そして、次に耳が捉えたのは、冷たい電気の様な言葉だった。

「好きなんだろう、和泉を」

「・・・は?」

「幸・・・っ、五十嵐君」

再び、南条の叱責。

「見てれば分かる。橋葉がこんなに感情を表すのなんて、見た事なかったからね。友達とかじゃ、ないだろ」

長い、沈黙。

「・・・分からない」

その沈黙を壊すのには、相当なエネルギーが必要だった。

「分からないって、」

「でもこれが今の正直な感情だ。・・・こうとしか言い様がない」

はは、と、五十嵐の乾いた笑い声。

「・・・本当に、素直じゃない・・・」

そして、苦笑。

「そんなの、お互い様だろ」

軽く胸を小突くと、倍の力でやり返された。

「はいはい、その辺で、二人とも。私の予想では、8割方この後は喧嘩に発展しますから」

南条が割って入ってきた。

仕方が無い、といった苦笑いだ。

「だって、橋葉が素直じゃないのって。ねえ、先生」

南条にふらりとよりかかる五十嵐。

それを押し返しながら、南条は続けた。

「結果と事実がどうあれ、何ら可笑しい事じゃないですからね」

その表情は、微笑み。

「もっと気の利いた事言えないんですか、先生?」

そしてその微笑は、五十嵐と交錯する。

ああ、と、妙に合点がいった。

「見てれば分かるって、こういう・・・」
「そういうこと」

にっこりと満足そうな五十嵐。

情報通なのも、納得がいく。

雨の音が大きくて助かった。

「そういえば、来週は晴れるそうですよ」

南条の言葉は、保健室の端まで響いた。

>>レイニー:END

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