撮影スタジオは、雑居ビルの3階だった。
「……っ、……くぅ」
部屋の中央。撮影用に用意された柔らかなベッドから離れ、カズネはソファで体を丸くしていた。
身にまとうものはオーバーサイズのシャツ1枚。
「あと3分だから、頑張れよ」
上から労いの言葉が降ってきて、カズネは顔を上げた。スマートな首筋、丁度いいバランスに締まった体。メイクも済ませて妖しく整った微笑みを見上げ、なるほど人気のあるわけだと、妙に感心してしまう。
「んん、……これ、結構、…きつい」
「あ、カズネ、こっちの撮影初めて?」
横に腰を下ろすハヤトに、スペースを空ける。体勢を少し起こしたことで、重力に従って降りてきたものを、危うく漏らしそうになった。慌てて肛門を絞める。ぬるつく感覚が汗なのか、それとも溢してしまっているのか、確かめるのも不気味である。カズネは5分ほど前、自らのお尻に浣腸液を注入している。
2人は、ゲイビデオの男優を仕事にしていた。
それもかなりマニアックで、コアなファンに売れている。だから事務所からは、SMプレイで呼ばれることが多い。今日だって、スカトロプレイを撮るために集まっている。
「あー……、うん。……っあーー、あと、どれくらい……っ」
「1分。ファイト。そっか、そういえば、カズネいっつもおしっこだよね」
他人事だと思って。そう言い返してやりたかったが、腹痛と排泄欲に駆り立てられ、それどころではなかった。
あと1分。あと1分。足ががくがくと震えた。
中古のレコードショップでアルバイトをしていたのが数年前。そこでどういう縁だかアダルトビデオの事務所にスカウトされて、バイト感覚で始めたのが、去年の冬。年明けすぐのことだった。
しばらくはレコードショップと掛け持ちしていたが、処女作がゲイビデオ界隈で予想以上の売れ行きを叩き出し、事務所所属を進められた。
仕事あがりを待ち伏せしていた監督は、「君、絶対売れる、ぜったいだ」と、ビール片手に力説した。確か、立ち飲みの居酒屋だったと思う。カズネはつくねをかじっていた。
具体的な話をしたいからと、事務所(このビルの二階にある)に呼ばれたのは、その次の日。
正直、給料が桁違いだった。当然だが、出演できる回数が違う。セックスで稼げるならいいじゃないかと、平和な脳みそは二つ返事で頷いた。
それから様々な現場に呼ばれていたが、実は、大きい方の撮影は、今日が初めてだった。
「カズネ。オッケーだよ。出してきな。」
ハヤトがスマホの液晶を掲げる。ロック画面の時計を見れば、しっかり5分経過していた。
はあっと熱い息を吐く。額に前髪がはりついて鬱陶しい。
最低5分との説明だったが、もうこれ以上、我慢できそうになかった。
「連れて行こうか」ハヤトの提案を、首を振って断る。
慎重に立ち上がって、捩れるように痛む腹とひくつく肛門をなんとか宥めて。覚束ない足取りで部屋を出た。バスルームが、隣にある。
カズネは自らのセクシャリティをバイだと認識している。プライベートで男とする時には、マナーとしてちゃんときれいにしておく。
だから、浣腸だって慣れていると自負していたのだ。
けれど今日、現場で渡されたそれは輸入物の、まあ何というか、とっても強力なやつだった。パッケージの表記が英語で、なんとなく嫌な予感はしていた。
本当は効き目が出るまで、申し訳程度のト書きが記された台本でも読んでいようと考えていたのだが、とてもそんな余裕は無かった。
体に合わなかったのか吐き気まで誘発し、監督やスタッフ総出で心配されてしまうほど。
浣腸液といっしょに溜まっていたものを排泄し、水で流す。
灰青色の綿シャツの下、ぺたんと薄くなった腹を擦った。
まだ、痛みは引かない。
今日のスケジュールを渡されたのは一昨日。
スカトロプレイの撮影なのに、お腹の中をからっぽにするなんて変な指示だなと思っていた。
そして参考のためにこれまでの作品を確認して、なるほどそういうことかと合点した。
この会社から出すスカトロビデオでは、”ホンモノ”を映さなくてもいいらしい。寧ろどれだけ耐えているか、その苦悶の表情に時間を割いている。後に控えているのは、熱くて甘い、極めて非生産的なセックスだ。
これは誰にも、何度も一緒に撮影しているハヤトにも理解されないのだが、出来上がった映像を確認して、自分の行為を外から見る立場になると、まるでメリーゴーランドに乗っている気分になる。
ぐるぐると視点が揺れて、おまけにそこにいるのは他人のような自分なのだ。中も外も知ってしまうと、いっそ引き剥がされて乖離していきそうな、そんな感覚を覚える。
「すみません、戻りました」
部屋に戻ると、一斉に注目を浴びた。一番最後に振り返ったのはハヤトだった。
「カズネくん、入れる?いけそう?」
「はい。大丈夫っす」
「じゃあ、ハヤトくん、準備して。ホテルに入ったシーンから撮るからね」
行為に至るまでの前置きは、明日の夜に別撮りだ。
バーで知り合った男――ハヤトがスーツ姿で演じているのだが――とホテルに行ったら、男にはスカトロ趣味があって……という設定だった。
実は男は大企業の御曹司で、カズネ演じる青年を恋人兼ペットとして、自邸で飼うことになる。売り上げ次第でシリーズ化する予定らしい。
撮影用にもう一度、それもたくさん出すためにかなりの量を体内に入れるのかと思うと気が重い。気持ちいいことは好きだが、正直、カズネにとって排泄を堪えるのはただ辛く苦しいだけだった。
――いや、これは仕事だ。お金を貰っている、これが自分の仕事なのだから、そんなことを言ってはいけない。
指示通り、2人でベッドサイドに立った。カメラと証明が1人ずつ。
このカメラさんは、後で映像の編集や音声の加工まで行うというのだから驚愕だ。
監督の合図で、撮影が始まった。
ハヤトのスイッチが入る。さすが、プロだ。そう冷静に見ていたのも一瞬。
次の瞬間には、カズネは乱暴に押し倒されていた。台本通り、抵抗する。
「やっ、……何すんだよ!」
「言うこと聞けって。大人しくしてろよ、気持ちよくなるだけだからさ」
「や、いやだ、なに、それ」
「だいじょうぶ、針はないよ。ほら見て」
ハヤトの手にした冗談みたいに大きな注射器に、演技ではなくぞっと腰が引けた。
プラスチックのおもちゃみたいだ。
中身は知っていた。水の比率を多く割いたグリセリン液だ。これももちろん、輸入品。
整った顔を妖しく歪めて、ハヤトが口の端で笑う。何かを呟いた。鼓動が激しくなってきて、鼓膜はその言葉を拾い損ねた。
そこからは、きっともう、演技ではなかった。
ハヤトに強引に衣類をはぎ取られ、シャツで両手を縛られる。半分だけ下ろされたズボンは足の自由を奪い、後孔がむき出しになる。
肛門に、プラスチックの先端が侵入してきた。喉の奥から、引き攣った声が漏れる。
「……あ、……ぁっ……!……!」
「気持ちよさそうだね?まだ入るかな」
冷たい液体がゆっくりと内壁を落ちていく。先ほどの浣腸とは違う、比べ物にならないくらいの質量。きっと、中がからっぽだから。
液体はすぐに暴れ出し、腸内を抉るような痛みが引き出される。カズネは堪らずに悲鳴を上げた。
直腸の急激な体温低下に、全身がガタガタと震えた。吹き出す汗も、熱を奪っていく。
「ゃ……、やめ、やめて……も、きつ……」
「尻上げろよ。溢したら、追加だからね」
「~~~!……っ、あ、ひ……っ、」
「ほら、1000ミリリットル、全部はいった。よくできました。10分、我慢しようね」
10分!
それは永遠に思える提示だった。海外製とはいえ市販薬を5分耐えるのにも満身創痍だったのだ。
ハヤトは脱脂綿で、カズネの肛門を押さえた。ぷく、ぷく、と、入れたばかりの浣腸液が染み出す。
「溢したら、追加だからね」
耳元で、そう念押し。なけなしの意地で肛門を締めたが、上手く力が入らない。内臓をかき乱されて、全部引きずり出されてしまうのではないか。そんな危機感を抱くほどの苦しさで、嘔吐しそうだった。
涙と汗でぐちゃぐちゃになる。お腹が痛い。破裂してしまいそう。さっきの痛みだって、まだ全然収まってなかった。
下腹部を抱えて丸くなりたいけれど、冷えたそこを少しでも刺激したら、漏らしてしまう確信があった。
不自由な手でシーツを掴み、激痛に悶えるカズネを見下ろして、ハヤトは満足そうに頷く。
嗚咽で言葉が出ない。セリフ、なんだっけ。そうだ、今、撮影を。
異物感をこらえる表情を、震える睫毛を、カメラは追っていた。
「は……っ、はぁ、……!……っう」
「お腹膨らんで、孕んでるみたいだね」
顎を掴んで顔を寄せる。乱暴な行為とは反対に、深く溶け合うキスだった。サディスティックな役が多いが、ハヤトの本当は、ユーモアに富んだ優しい人なのだ。
頬を伝う涙を舐めた。小さい声で、「可愛いよ、カズネ」そう聞こえた気がした。
逼迫する排泄感と強い刺激に、目の前がチカチカ点滅する。
無理やり中に入ってきた液体は、出口を求めて暴れていた。少しでも気を緩めれば、遡って溢れてしまう。
「も、……!むり、むりです……出る、……っ」
「もう?まだ2分しか経ってない。……どうしたのかな。お腹が痛いのかな」
ハヤトの顔をした男が、そうとぼけた声を出す。ワイシャツの首元を緩めた。体を傾ける仕草も色っぽい。
「どうしたの?お腹が痛いのかい。どうしたいのか言ってごらん」
言いながら、今一番触れてほしくないところ、重たく張った下腹部を、弧を描くように撫でていく。
片手で肛門を塞ぎながら、だ。泣きながら身悶えするカズネの様子を楽しむように、時々、ぐいと強く押される。
膨れ上がる排泄欲求を、カズネは処理しきれなかった。狂ったように悲鳴を上げて、身を捩る。ぷしゃっと水っぽい、空気の抜ける音がした。
「……ぁ……!ああああっ」
「悪い子だね、漏らしちゃったの」
下の穴から、おしっこのように液体が溢れていく。太腿を伝い、シーツを汚し、どろっと粘性のそれが広がっていくのを止めることができない。
ひどい音を立てながら、お腹の中身が軽くなる。カズネは放心してしまって、荒い呼吸を繰り返した。ぐるぐる、世界が回る。
へそ、鳩尾、肋骨。ハヤトの唇が落ちてくる。仰け反った薄い胸の先に舌を這わせながら、ハヤトは微笑む。
「ねえ、指、入れていい?」
メリー・ゴー・ラウンド:END
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