recall the past 3

暴力描写有り(苦手な方はご遠慮ください)

*

目が覚めて、まず始めに聞いたのは雨音。

小粒のそれがシャワーの様に降り注いでいる、そんなイメージの雨音だった。

雨は嫌い。

あの日も酷い雨だったから。

身体を起こすと、床に畳まれた毛布があった。

(・・・そうか、貴樹さん、朝まで)

純粋に嬉しかった。

(貴樹さんみたいに、笑うんだ)

変わる。

話す。

そのために、笑って、まず、あいさつをしよう。

それから、叔母さんに謝って。

それから、一緒に笑えるのかも。

階段を降りる足取りが、いつもよりも軽かった。

あいさつ。

けれどそんな小さな期待が壊されるのは、ほんの数秒後の事だった。

(・・・あれ)

まず、違和感だった。

普段朝食は叔母さんと二人で食べている。

叔父さんは仕事で朝早いし、貴樹さんも学校が早い。

だから二人で、叔母さんが用意してくれた朝食を食べていたのだけれど。

(・・・叔母さん?)

リビングには誰も居なかった。

テーブルの上には、食パンと目玉焼きとサラダ。

一人分の食事しかない。

(・・・これを食べてってこと・・・?)

パンは焼かれていたけれど、冷えていた。

立っていても仕方が無い。

冷えた朝食を胃に詰め込んだ。

(・・・そういえば)

―――今朝、叔父さんは部屋に来た?

叔父さんはいつも僕に朝を知らせたあと、ほんの少しドアを開けておく。

外の空気を入れるためだ。

―――今日は?

思考が途切れた。

瞬きだか何だか良く分からない、一瞬の暗転。

今日は、閉まっていた。

(・・・ああ、そっか)

諦めに似た思いで食器を置く。

カチャリ、静かなリビングに響いた。

遂に、嫌われてしまったのかもしれない。

『不気味』で『変』なんだもの。当然だ。

叔父さんと叔母さんが喧嘩した原因も僕。

(・・・悪いのは、全部、僕じゃないか)

鼻の奥がツンとしたが、涙は出てこなかった。

「ご馳走様でした」

食器を片付けて部屋に戻る。

学校に行かないと。

夕飯も、そんな調子だった。

いつもの時間に下に降りようと部屋を出たら、足元にプレートに乗った夕飯が置かれていた。

食べ終わったものを出しておくと、いつの間にかそれが片付けられている。

追い出されることは無さそうで、それが一番安心した。

貴樹さんがたまに部屋に来てくれたけれど、その夜は叔母さんのヒステリックな叫び声が家中に響いた。

だから貴樹さんと顔を会わせる機会も減っていって、叔父さんにも会わなくなって、叔母さんにはもっと会わなかった。

洗濯物もそのまま放置される事が多くなっていって、自然と洗濯機の使い方を覚えた。

テレビも随分見ていない。

学校ではずっと一人。

時々靴や教科書が無くなった。

でもそれは大抵ゴミ箱や中庭で簡単に見つかるので、大して困りはしなかった。

休みの日はずっと部屋の中。

晴れていて、風のある日が好きになった。

窓から見える雲が、唯一の楽しみだった。

そうやって、3年が過ぎた。

髪の毛が伸びて、鬱陶しかった。

叔母さんの居ない時に、叔父さんが何度か髪の毛を切りに連れて行ってくれたけれど、もう首はすっかり隠れてしまう程の長さだ。

貴樹さんは大学に行った。

大きな物音がする日が続いていて、模様替えかな、と思っていたら、貴樹さんが部屋に来て「明日引っ越すんだ」と教えてくれた。

ああ、引越し準備だったのか、と一人納得。

「暇でしょ?」

そう貴樹さんは申し訳無さそうに言って、ダンボールを運んで来た。

中身は、漫画や雑誌や参考書。

「・・・直矢にあげる。・・・これしか出来なくて、ごめんね」

「・・・!」

貴樹さんの目が真っ赤で、気付かずに自分も泣いていた。

心が麻痺したようになって、何が悲しいんだかも良く分からないまま、声を立てずに泣いた。

「行ってらっしゃい」

見送りはできないだろうから、今、言わないと。

「ありがとう」

そういうので精一杯だった。

「・・・やっぱり、直矢は笑った方が可愛いよ」

貴樹さんの泣き笑いを、脳裏に焼き付けた。

神様、どうか。

貴樹さんみたいな人になれますように。

毎晩叔父さんと叔母さんの怒鳴り声を聞いた。

けれどここ数日、やけに静か。

そんなある日だった。

その日は朝から土砂降りで、憂鬱で。

玄関を開けて、いつも通り無意味なただいまを呟こうとした。

同時に目の前に人影が現れて・・・というより、きっと、ずっとそこに居たのだ・・・いきなり、肩を掴まれた。

「!」

思わず息を呑んで身構える。

それはあまりにも唐突で、恐怖で言葉が出なかった。

(・・・叔母さん、)

久しぶりに見る叔母さんは前より痩せていて、直感で、怖い、と感じた。

「あなたの所為よ!!」

ぐい、と持ち上げられたかと思うと、次の瞬間には玄関に叩きつけられていた。

「・・・っぅ!」

頭を玄関の段差に強く打ち付け、痛みで背中が反る。

目の前がチカチカしたのも一瞬。

叔母さんは僕の胸倉をもう一度掴んで、無理やり起き上がらせた。

足に力が入らなくて、膝立ちの様な状態になる。

(・・・何、何・・・!?)

「あなたの所為よ!あなたの所為よ!」

最早絶叫に近い声を上げて、叔母さんは僕の身体を揺さぶる。

下駄箱に何度も頭を打ち付けられ、痛みと恐怖が全身を支配した。

「・・・痛い、っ・・・やめて、叔母さん、止めて、」

下駄箱の上に置かれていた花瓶が、一際大きな音を立てて落ちた。

投げ出された右手がそれに直撃する。

もう水は与えられていなかったらしく、枯れた花とガラスの破片だけが辺りに飛び散った。

「あなたの所為で!!」

だん、と背中に激痛。

目を開けると、叔母さんは僕を見下ろしていた。

相変わらず叔母さんの手は僕の胸を掴んでいるので、叔母さんの全体重が掛かって、息が苦しかった。

「・・・っは、・・・叔母さん、ごめんなさい、止めて・・・、痛い・・・っ」

何か言う度、叔母さんの体重が一層掛けられる。

「あなたの所為で、誰も、居なくなっちゃったじゃない・・・!!!」

どうしてくれるのよ!と叔母さんは叫んだ。

(・・・どういう事?何が?どうなってるの・・・?)

「あなたの所為で、うちは、めちゃくちゃよ!!!」

強い力でまた身体が持ち上がり、そしてまた叩き落された。

「・・・っぁ!」

痛くて、上手く息が吸えなかった。

みっともない位、ぼろぼろ泣いていた。

今度は壁に打ちつけられる。

叔母さんはあなたの所為よ、あなたの所為よ、ともう聞き取れない位の声で呟いている。

ごめんなさい、バカみたいにそれだけ唱えながら、痛みに耐えた。

遠ざかる意識の中で、ぼんやりと見えた自分の右手からは、血が出ていた。

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