トレモロ

朝のSHRが終わりから、一限までの短い休み時間。

世界共通のセオリーの様に、和泉の周りには人だかりが出来ていた。

どこ住んでるの、とか

兄弟いるの、とか

何で休んでたの、とか

そんな無遠慮な質問が飛び交っている。

(ばかか、こいつら)

一方和泉はというと、それらの質問に応じるどころか一瞥もせず、身動き一つせずじっと座っている。

作り物めいたその様子は、その風貌と相まって、謎めいた雰囲気に拍車をかける。

いきなりこんな質問攻めで可愛そうな気がしたが、和泉の性格もよくつかめないままで、俺が介入していくのは何か違う気がした。

困っているなら困った様子を見せればいいし、不愉快なら不愉快な表情をすればいい。

(これは…無視っていうより、聞こうとしてないのか)

「関係ない」

突如、和泉が口を開いた。

あまりにも突然すぎて、それにそれはあまりにも攻撃的で、呆気にとられた。

わいわいと騒がしかった周辺も、一瞬で熱が引いていく。

「・・・んだよ、ちょーしらける」

誰かがそう言ったのを境に、わらわらと皆もとの場所に戻っていった。

(・・・なるほど  そういうタイプか)

学校なんてくだらないとか何とか言って、自己を正当化して不登校になるタイプ。

人に馴染めないのはその相手が冷たいせい、学校に行けないのは授業がつまらないせい。

そうやって責任転嫁を繰り返して生きてきたタイプだろう。

そういうやつは、プライドだけ高くて、非常に面倒だ。

(さしずめ、授業日数でも足りなくなったかな)

「・・・ねえ、そういうのってキャラ?流行んないよ?」

何となく可笑しくなって、笑いを含んだ声でそう話かけると、予想に反して和泉はこちらに顔を向けた。

整いすぎている顔には、怪訝そうな顔が浮かんでいる。

(あれ、怒ってない)

ものすごく高いプライドでもあるのかという予想はまた裏切られた。

(……掴めないなあ…)

先ほどの和泉の冷徹な一言で、クラス中の和泉への関心は一気に薄れたのを感じた。

それでも、俺の和泉への関心は一向に薄れなかった。

何でこんなに興味が沸くんだ。

一限、退屈すぎる古典の授業中、頭の中では盛大に自己会議が行われていた。

今までに、これほど人間に興味を感じたことがあっただろうか。

俺の記憶の限り、無い。

人間に、というより、あらゆるものにそれほど執心した覚えがない。

ではなぜか。

(見た目?……いや、この雰囲気…?)

結論がでそうな気配は一向に無かった。

ちらり、と横を見ると、和泉が真面目に授業を聞いている。

俺の予想は、またも外れた。

(…人を観察するのには、自信あったんだけど)

となると、別に学校がくだらないだとか思ってるのではなく、本当に何か事情があるのだろうか。

黒板を見るために顔を上げる和泉。

細い首に血管が透けて見えた。

(ちょっと、顔色悪い)

肌が白いせいだろうか、顔色が悪いように見える。

しかし本人はいたって真剣に授業を受けているようだし、心配するほどの事でもないのかもしれない。

古典の先生が問題演習を始めたので、俺も授業に集中することにした。

カタ、と小さな音がして、左を向く。

和泉の手元を見るとシャープペンが置かれていて、ああ、さっきの音はこれが倒れた音か、と納得する。

そのまま視線を何となく上げ、ぎょっとした。

(ちょっ…真っ青)

辛そうに目をきつく閉じ、薄い唇を噛んでいる。

顔色が尋常じゃなく真っ青だった。

声をかけるべきか躊躇っていると、少々荒っぽく椅子を引き、そのまま足早に教室を出て行ってしまった。

教室中が再び呆気に取られたのは、言うまでもなかった。

「えっ、なに?」「今出てった?」「おいおいあの復帰生…」

そんな声が口々に囁かれる。

古典の先生は何事かと、必死で出席簿を開き出て行った生徒は誰かを探りだそうとする。

「…っすいません、追いかけてきます」

正直言って何が何だか分からずにあっけにとられていたが、先生から頼まれた“サポート”の役目と、和泉の真っ青な顔色を思い出し、おれも教室を後にした。

教室を出て、まず和泉がどこに居るのか検討をつけることにした。

やみくもに探し回ってもこの広い校舎では見つけるのには時間がかかりすぎる。

(顔色最悪だったし保健室…でも辿り着いてるのか?)

高さこそ5階建てと特別ではないが、なにぶん横に広いこの校舎には高等部だけで保健室が3つある。

しかし常に保健医が居るのは一階の一番広い部屋だけで、残り二つは各所に点在する休養室みたいなものだ。

この広さで復帰初日の和泉が全て把握してるとは思えなかった。

(でも、まあ第一保健室の位置位は分かるだろ)

第一保健室に最も近く通じる階段を辿りながら、まずはそこから探し始めることにした。

長期戦になるだろうという俺の予想は、あっさりと切り捨てられた。

角を曲がってすぐの階段の踊り場で膝を付き、壁にもたれながら蹲る和泉を見つけたからだ。

(ほんと…調子狂う。こんなに計算が外れるのは初めてだ)

「ちょっと…、大丈夫?」

階段を降りながら尋ねるが、返事はない。

「えー、と、何で出てったかなあ… 具合悪いなら一言言ってくれれば…」

そういいながら和泉と目線を合わせようと屈み、息を呑んだ。

(え、マジでこんな具合悪いの?)

うっすらと汗をかき、見てるこちらも辛くなるほど、苦しげな表情をしている。

床に着いた手には力が篭っているのか、小刻みに震えている。

「ちょっ…大丈夫!?」

いくら問いかけても返事は無いが、体を折り口元に手を添える仕草で理解した。

「……吐きそう、なの?」

和泉の姿が本当に辛そうで、声を潜めてそう尋ねると浅く頷いた。

(…どうするべきだ)

現在地が四階、三階間の踊り場で、ここから一階の保健室に向かうと考えると、この様子の和泉には無理そうに見える。

特別棟まで行かなければならないが、三階の保健室に向かうほうが、距離的には短い。

とりあえず和泉を休ませて、俺が一階の保健室まで保健医を呼びに行けば良い。

「和泉、立てる?保健室行こうか?」

俺の手を借りながら、ふらふらと立ち上がる和泉。

すぐに倒れそうになりこっちがひやひやとする。

足取りが危なっかしいので、俺が和泉の手を引き…というよりか、半ば抱えるようにして階段を降りた。

吐き気が込み上げてくるのか、時々体を強張らせるのが分かる。

(…なんなんだ、この状況)

階段を降りながら、和泉を支えてているとはいえ、どうやらこれは俺の一方通行の様だ、と気付いた。

決して、こちらに体重を預けてこようとはしない。

ふらついても壁に寄りかかり、それが収まるのを待つ。

(あの担任が言っていたのはこういうことか…)

『何か困った事があっても自分から助けを求めるという考えが出てこない』

確かこのようなことを言っていた。

考えを色々と巡らせていたが、ふっ、と和泉の体が俺から離れ、我に返る。

振り向くと廊下の真ん中で和泉が蹲っていた。

「…っ…、う、…っ」

苦しげに息をついたかと思うやいなや、ぱたぱたと吐瀉物が吐き出された。

吐瀉物、というか、胃液。

(朝…食べてないのか)

自分でも吐いてしまったことに驚いたのか、ぱっと顔を上げる和泉。

しかし苦しげに顔を歪め、またすぐに体を折ってしまう。

今にも泣き出しそうな潤んだ目が、脳裏に焼きついて離れなかった。

それから何度も和泉は胃液を吐き出した。

一度に大量に吐くよりも、少量で、何度も吐く方が何倍も辛い、というのを誰かから聞いたことがある。

背中をさすることしか出来ないのが歯がゆい。

「…はっ、はあ………」

吐き気が治まってきたのか、呼吸を整えようとしている。

「…まだ吐きそう?」

ゆるゆると首を横に振る。

和泉は薄い水色のハンカチを取り出して、口元を拭った。

「……あ、の、」

そのハンカチで顔を半分覆い、ちら、とこちらを覗うように見るその姿に、なぜかどきりとした。

本当にこれは男か?何てどうでも良いことを考えてしまう位、扇情的だった。

「気にしない気にしない。 それより、大丈夫?もうちょっと歩くと保健室だから…と言ってもきっと保健医は居ないけど…まあ休めるから。ここは俺が片付けておくよ」

「そっ…それ、は」

「ほら立ち上がらないで、そんなふらふらだと倒れてあぶないから」

申し訳なさそうに留まろうとする和泉を制して、半ば強制的に保健室へ連れて行った。

ベッド前のカーテンを開けてやると、崩れるようにそこに倒れ込んだ。

「それにしても、どうして今日はまた……朝、食べてこなかったの?」

布団を整えながらそう尋ねるが、返事はない。

「いや、迷惑とかそういうんじゃないけど、一限も出られない位調子悪かったなら、欠席しても良かったんじゃない」

無言のまま、目を伏せてしまった。

長い睫毛が影を落とす。

大分ぐったりとしてるし、口を無理に開かせるのは可愛そうな気がしてきた。

(それに……何だか不気味だ)

特に何が、という訳ではないが、何となく、直感的に「不気味」という言葉が頭に浮かんでいた。

何か違和感もあるが、他に形容しようがなかった。

(なんか、ざわざわ…?)

「…じゃ、あ とりあえず俺廊下、ね。先生呼んでおくから、お大事に」

何ともいえない表情の和泉の視線感じたが、カーテンで遮断する。

今にも 泣き出しそう な 潤んだ目が

<トレモロ:END>