南条の調べ物
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湿度未だ高く、じっとりと不快に汗ばむ気候の中、南条は休日返上で働いていた。
「正確な個人情報の徹底管理」という大義名分の下、恋人の為――正しくは恋人の親友の為、である。
今までに手に入れた情報をノートに箇条書きにし、それを繋げていく。
こういう時、即ち脳内を整理したい時、パソコンで打ち込むよりも自分の手で実際に書いた方が向いているのは言うまでも無い。
昨日、南条は元同僚に電話をかけていた。
その元同僚である坂本が、和泉の通っていた中学校に勤めていると知ったからだ。
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『もしもし』
相手が出るまで、8コールも待った。
「南条です。お久しぶりです」
名乗ると、受話器の向こうでえっと息を飲むのが聞こえた。
『南条!?うわーお前元気か?ディスプレイに表示されてさ、まさかと思ったんだけど。すっごい久しぶりだなー』
「お陰様で。坂本は?元気にやっていますか」
『相変わらずな。・・・って、何か用事があるんだろ?お前の事だから、無駄話する為に電話なんか掛けないだろうし』
幸喜の友人が橋葉くんだというなら、自分にとってはこの坂本かもしれない。
そんな事を考える自分が可笑しくて、ふと笑っていた。
「助かります。・・・実は、そちらの学校の生徒に関する話なのですが」
『生徒に?いいけど、お前今高校教員だろ?知ってるだろうが、うちは中学校だぞ』
「ええ。正しくは、そこの生徒だった人と、当時の教員なんですが」
『?何か回りくどいな。ストレートに言えよ。今俺自宅だし、寂しい事に相変わらず一人身だから』
「・・・そちらの学校に、2年前まで、和泉直矢という生徒が通っていませんでしたか?」
『2年前?うわ、俺その時居ねえじゃん。赴任されたの、去年からなんだよ』
公立は移勤多くて・・・と呟く坂本に、やっぱりな、という気持ちで溜息を吐いた。
毎年学校に送られてくる近隣校の学校向け案内で、坂本の名前を見かけた。
けれどそれは今年の冊子だけで、それ以前の冊子には載っていなかった。
「ちょっと待ってろ、過去の生徒名簿、貰ってたはずだから」
続けて、ガタガタと物を引っくり返す尋常で無い音が聞こえた。
「さ、坂本?わざわざ探して貰わなくても、他の誰かに・・・」
慌ててそう告げると、軽い笑い声が鼓膜を揺すった。
『でも、お前は俺を頼ったんだろ?お前に頼られるなんて今後ないだろうから、ちょっと満喫させてよ』
「ありがとうございます・・・。お言葉に、甘えます」
『ははっ。これ、昔の知り合いに自慢できるな。・・・あっ、あった!あった!』
「・・・どうです?」
『和泉直矢、だろ・・・?3年2組・・・その前は2年1組?』
「すいません、そこまでは・・・。でも、見つかったんですね」
『この生徒がどうかしたのか?何か、問題児には、見えないけど』
「今、うちの生徒なんです。・・・ちょっと、気になる事があって。今度お話します」
『ああ、別に、いいよ。気になるけど、無理には』
「・・・」
『・・・さっき、生徒だった人と当時の教員の事が知りたいって言ってたよな?残ってる教員の事ってのは?』
ありがとうございます、と心の中で感謝を述べる。
「その彼・・・和泉くんが学校に通っていた時に居た先生って、今も居ますか?」
『2年前から勤めてる先生だろ?うーん・・・今直ぐには分からないな。後でメールするよ、分かったら。アドレス変わった?』
「いいえ、以前のままです。それで、もし見つかったら私とコンタクト取らせて貰えませんか」
『勿論!そのつもりで話してたよ。・・・じゃあ、また』
「はい。宜しくお願いします」
坂本から連絡があったのは、その二日後だった。
携帯が震えたのは保健室で書類整理をしている時。
メールによると、どうやら、当然といったら当然だが、二年前から勤めている教員なんてたくさんいたそうだ。
その中に、和泉の担任をしたことのある教員の連絡先を知っている人がいた。
なんと坂本はその教員と連絡を繋いでくれただけでなく、実際に会う約束まで取り付けてくれたのだ。
本当に、気の利く奴。
約束は今日の夜8時に、この保健室で。
わざわざ出向いて貰うつもりなど皆無だったので、場所を指定されたときは驚いた。
中間地点を選びましょうと思わず電話を掛けた程だったが、何やら向こうには負い目があるようで、頑として引かなかった。
正直、来て貰えるに越した事はない。
「では、お待ちしています」と、早々に引き下がった。
外はもう暗い。
備え付けのケトルでお湯を沸かし、来客を待つ。
黙認されて居るとはいえ、そしてたかが保健室一室とはいえ、校舎を私用で使うのはやはり気が引ける。
時刻は7時55分。
車のライトが見えた。
「あの、初めまして。長谷川です」
開口一番、彼はそう言った。
スポーツ刈りの頭の所為かひどく若く見えるが、恐らくさほど年齢は変わらないだろう。
「初めまして。お電話させて頂いた南条です。…どうぞ、お掛けになってください」
保健室備え付けの白い木製椅子を指すと、長谷川は恐縮仕切った様子で腰を下ろした。
「応接室とかでなくて申し訳ありません。それに、わざわざお越し頂いて…」
「そんな!とんでもないです。どうせ帰り道ですから」
「これ、良かったら。インスタントですけど」
事務室から持ち出した来客用のティーカップにコーヒーを淹れ、ミルクと砂糖を添えて長谷川に差し出す。
どうしてか、長谷川は益々身を縮めた。
この様子からして早く本題を切り出した方が良さそうだ。
「もうご存知とは思いますが、今日伺いたいのは和泉くんの事です。和泉直矢…覚えていらっしゃいますか」
長谷川はカップに掛けていた手を引っ込めて、何度も頷いた。
「ええ、勿論、覚えています。二年間副任をして、一年は担任もしましたから」
それに…と、彼は続ける。
「彼は、その…色々、ありましたから」
「色々、というと」
間髪入れずに口を挟む。
「例えば、どんな事でしょう」
目を見据えてそう言うと、長谷川は、たまらない、といった風にうなだれた。
「…申し訳ないです。あんなことになったのは…俺の、いえ、私の責任です」
予想とは違った答えだったが、無言で続きを促した。
長谷川は迷っているような素振りを見せる。
依然、無言を貫いた。
「和泉くんが虐めを受けている事は知っていました。何か手を打たなければと思っていた矢先に彼は教室に来なくなって…教室内の雰囲気も改善されたので、そのままに。それに、和泉くんが拒食気味だったことにも気付いていたんです。和泉くんが家族から…暴力を、受けていたことも」
「家族というと、彼の叔父、叔母あと…その息子、でしょうか」
妹尾貴樹の顔を思い浮かべ、それはないな、と、どこかで考えていた。
目の前の長谷川は無言で顎を引いた。
「ところで、先ほど仰っていたあんなこと、…って、具体的には」
長谷川は視線を泳がせる。
きっと彼の頭には、余計な事を零してしまった自責の念が渦巻いていることだろう。
あの…と、長谷川は控え目に切りだした。
「南条さんの話は?何か聞きたい事がある、と伺っているのですが」
長谷川の疑問は的確だった。
聞きたい事がある、と呼ばれているのに、肝心の内容も分からずフリートークを促されたら、誰だってそう思うだろう。
それもそうかと合点し、南条は姿勢を正した。
「聞きたい事は二点です」
先ほど長谷川が零した¨あんなこと¨。
予想が正しければ、推測の限りでは、きっとその概要を、自分は知っている。
「山辺という生徒と、岩林という生徒について教えて頂けますか」
彼らの仲間の話も。
そう付け足すと長谷川は驚いた様に目を見開き、そして溜め息を付いた。
「ご存知なんですね、
あの動画のこと」
直球で確信を突かれたのが予定外で、思わず口を噤んでしまった。
そんな自分を叱咤し、沈黙を生むまいと言葉を繋いだ。
「ええ、偶然」
「…見掛ける度に、削除申請しているんですが…インターネットは難しいですね」
長谷川のうなだれた様子は、諦めという言葉が的確だった。
「…あの映像に映っていた加害者サイドの生徒達で、岩林と呼ばれた生徒以外は、和泉くんの先輩です」
「何となくそんな気がしていました」
「岩林くんは、和泉くんとはクラスが違いましたが、凄く仲の良い友人でした」
「友人?」
「岩林くんも、その…友達は多い方ではありませんでしたから、それだけに直ぐわかりましたよ。和泉くんが教室に来なくなっても、ずっと保健室に通っていたみたいでした」
はあ、と曖昧な返事を返す。
「そんな仲良しな友達をどうして?」
すると長谷川は、一瞬躊躇う視線を見せた。
それには気付かない振りをして、話を促す。
「・・・岩林くんは、山辺くんら上級生から虐めを受けていたんですよ」
苦虫でも噛み潰した様な顔。
「軽犯罪なら幾つも犯しています。和泉くんは同級生から、岩林くんは上級生から、それぞれ酷い扱いを受けていたんです」
「・・・・」
言葉を見つけられないでいると、長谷川は今までの恐縮ぶりは何処へやら、矢継ぎ早に話を進めていった。
「誰が流したのかは今だに分かっていませんが、その時和泉くんの周りにはおかしな噂が立っていました。あの映像でも、ちらっと触れていたでしょう。その噂については、教務室でも話題に上がる程だった。会議の議題ではなく、休憩時間の雑談の格好のネタとして。そんな最低な同僚も少なくなかった。当の本人は知らずに無防備で。・・・俺達当時の教員には、あの事件が起こる事を予測するヒントが沢山あった筈なんです。その後和泉くんの入院を聞いて・・・後悔しない人は居なかった。」
「・・・和泉くんに会いましたか」
会って、謝罪の言葉を述べたのか。
会って、許しを請うたのか。
傍観という重罪を認めたのか。
「会って話を聞きたかったんですけれど・・・彼の親戚の、貴樹?とかいう人に猛抗議されてしまって」
燻っていた苛立ちが頂点に達した。
荒っぽく椅子を引き、長谷川を見下ろす。
「もう結構です。わざわざお越し頂きご迷惑をお掛けしました」
そんな南条の様子を長谷川は飲み込めなかった。
一体何が南条の怒りに触れたのかすら分かっていなかった。
「な、南条さん?一体・・・?」
「自分に責任がある、後悔している、なんて言いながら、結局は臭いものに蓋。あなたは責任を感じても居ないし、後悔もしていない。そうでしょう」
核心を突かれた長谷川は肩を落とし、南条を睨み上げた。
落ち着き払った南条の目に、全て見透かされている気がして気分が悪い。
どうせ見抜かれているなら、と長谷川は開き直った。
「・・・責任は感じていますし、後悔もしていますよ。ただそれに保身を含んでいるのも事実です。南条さん、あなたはそこをおっしゃっているんでしょう」
無言で視線を返した。
「・・・今更、そんな話を持ち出されたから・・・裁判にでも掛けられるんじゃないかと思ったんですよ。あの時、向こうからの要求は無いに等しかったもので。警戒するのも当然ですよ」
ついでだから、と饒舌になった長谷川はこうも続けた。
「恐らくお気づきでしょうがあの映像に出てきた”山辺”という生徒、お宅の前任の校長先生のご子息で間違い無いですよ。年上の悪い集団とも付き合っていて、正直良い噂を聞きませんでした。我関せずとばかりに息子を遠ざけていた山辺さんも、自信に火の粉が飛ぶ危険性を鑑みたら息子の不祥事の後始末までしてしまうんですね。・・・まあ、当時の和泉くんの成績ならどこでも通用出来たでしょうけど、そこはお互いに方向性は違えど甘かった訳ですよね。それでも山辺さんの方が幾分か狡猾だ」
それは長谷川自信の言い訳も孕んだ言葉だった。
長谷川自身、口を動かしている内に本来の目的を失っていた。
南条は、ともすれば眼前の長谷川に掴みかかってしまいそうで、理性の力で必死にそれを堪えていた。
それを察したのだろう。
長谷川は椅子を引き軽く礼をするとそのまま帰り支度を始めた。
帰り際、消え入りそうな声でこう呟いた。
「本当に、申し訳ありませんでした。無駄かもしれませんが、動画サイトの運営者に削除申請をしておいてください」
「・・・言われなくともその予定でいました。加えて、謝罪相手を間違えています」
「はは、本当に、そうだ・・・」
力なく笑い、長谷川は保健室を出て行った。
南条には見送る気など毛頭無かった。
(・・・可愛そうな人だ)
ひどく疲れた。
こんなときは、今すぐに、彼に会いたい。
「・・・もしもし、幸喜ですか」
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