和泉の瞳が印象に強く残って、忘れることができなかった。
「いずみ~おはよー」
教室のドアを始業ぎりぎりに開けた和泉に話しかけるが、反応はない。
無表情のまま机に行き、鞄を広げ始めた。
丁寧に教材を詰め込んだ、重そうな鞄。
一度生まれた好奇心はいつまで経っても消えそうにない。
どうすることもできないから、とにかく今は自分の好奇心に従うしかない。
和泉は相変わらず話しかけてもこちらを一瞥もしない。
まるで外の世界との交流を徹底して拒絶しているようだった。
(弱ってるときのほうが人間味があったな)
昨日、
あんな弱々しい姿を見せた和泉は、今よりずっと人間らしかった。
苦しげな表情でも、「表情」があったからだ。
実際のところ昼休みに様子を見に保健室へ行った時には和泉の体調は回復し、もとの調子を取り戻していたので、結局のところ人間ら
しさが垣間見れた時間なんてほんの数分だったのだけど。
「ねえ、和泉、今日一限また古典なんだけど、辞典要るの知ってた?」
こちらを見ないなら、と和泉の目の前に立って話しかけてみる。
さすがの和泉もちら、と顔を上げて、眉間に皺をよせる。
「…」
「もしないなら、ほら、別のクラスに借りるとかしないと―――・・・」
何となく手を差し出した。
それだけのことなのに和泉はびくりと体を強張らせた。
(・・・・・・・・え、)
目を見開いて長い睫毛を震わせる。
それは明らかな、拒絶反応。
「・・・か・・・、関わら、ないで」
呆然とその場を離れると、五十嵐が薄笑いを浮かべて近付いてきた。
「あらら~嫌われてるねえ、橋葉」
「・・・余計なお世話だよ」
「おまえさんが手懐けられないなんて、初めてじゃないの」
「手懐けるって・・・言い方がセンスの欠片もないな」
しかし実際その通りで。
こんなに掴みどころがないというか、考えが読めない相手は今までに見なかった。
でもだからこそ、興味が沸く。
絶対に何とかしてやる、と、闘志に似た何かを感じていた。
「おい橋葉・・・」
声を潜めて話しかけられる。
スイッチを切り替え、意識して笑みを作りながら振り向くと、数人のクラスメートに囲まれていた。
右から、川合、佐藤、澤井、吉田。後ろに鳥沢、関。
名前を覚えておくのは何かと便利なので全員分暗記しているが、それは苗字だけで十分。
下の名前なんて覚えるのもばからしい。
覚えようと思えば覚えられるが、無駄なことはしない主義だった。
五十嵐を筆頭に、フルネームで覚えている友人を数えたかったら、両手の指で十分な位だった。
「なに?」
「お前あの復学生と関わんないほうがいいよ」
(・・・何を言い出すかと思えば・・・)
「復学生って・・・和泉でしょう?何で?」
「だって何かやべえじゃん この時期に復帰ってのも何か・・・不自然」
「昨日なんて授業放棄したしな」
和泉が教室を出て行った理由を皆は知らない。
授業放棄と捉えられても不思議はないだろう。
それにこの学校の生徒の特徴として基本的に温厚派が多い。
荒れてる生徒も居なくはないが、近隣の生徒とは比べ物にならない位おとなしい。
教室を無断で出て行ったら不良、という思考回路も分からなくはない。
「とにかく、あんなのと関わるのは良くないだろ」
「先生とかにまで目つけられたら・・・内申に響きそうだ」
結局のところ、皆我が身が可愛いのだ。
(まあ俺だって・・・和泉じゃなかったら絶対に関わらない)
興味が沸いて仕方ないのだ。
「・・・和泉が休学してた理由、誰か知ってるの?」
「そ、そういう訳じゃないけど・・・ なあ」
「喧嘩とか、問題起こしたんだろ」
あの女子の様に、あるいはそれよりも細いあの体でか。
「・・・まあ、隣の席だしね。手助けできるなら、してあげたいんだ」
そう言った自分の声はまるで自分の声じゃないみたいに、カサカサに乾いて聞こえた。
それは、建前。
やっと口から搾り出されたようなその声は、ひどく乾いて聞こえた。
〈rejection:END>