reception 1

(・・・疲れる)

貴樹―兄の様な存在の人物―の車で学校まで行き、教室へと続く比較的幅の広い階段をゆっくり上りながら、和泉はそんなことを考えていた。

この学校に復学するほんの一週間前の一ヶ月間、和泉は薬の匂いが充満した、真っ白な部屋に居た。

一度は退院した病院に、再入院していたのだった。

学校には行きたかった。

授業も受けたかった。

けれど、そんな考えのもっと深くにある、ひっそりと息を潜めている和泉の精神が、それを拒んだ。

登校することでも授業を受けることでもなく、人と触れ合う機会が出来ることを本能的に拒んだ。

高校に入ってからの一年間、和泉はずっと入院していた。

進級したら復学すると決めていたのだが、実際に進級し、復学の時が近づくにつれ、精神が不安定になり体調を崩した。

なぜ自分の意思が及ばない所であんな反応が示されてしまうのかは、嫌でも分かっていた。

だから、復学したら、絶対に他人との関わりは持たないようにしようと、強く誓っていた。

それなのに。

(はし・・・橋、・・・なんだっけ)

やたらと交流を持とうとしてくる人物がいる。

世話好きなのか物好きなのか、登校初日、授業中に教室を飛び出してしまった和泉をわざわざ追いかけて来るほどに。

本能的に避け続けているのだが、愛想を尽かす様子が一向に見られないない。

(・・・どうでもいい・・・)

人の名前を覚えることが苦手な和泉は、あっさりと思考を止めた。

「あ、和泉 おはよう~」

教室のドアを開くやいなや、そんな声をかけられる。

声の主は分かっている。

おれの、隣の席。

(・・・ほんと、やめてほしい・・・)

誰とも関わりたくない。

信用しても裏切られるのはこちらで。

もう誰かを信じようとも思わなくなった。

おれと関わると不幸になる。

今までも、ずっとそうだった。

人の顔を見るのも嫌で、俯きながら席まで行くと、やっぱりあのひとはこちらを見ている。

その後ろでは半ば飽きれた様に、怪訝そうにその様子を見守る数名。

(・・・そうだ、橋葉だ。 ・・・橋葉、・・・あきら?)

この一連のやり取りは、今日で3日目。

復学初日からこんな感じ。

おれなんかを構って、何が面白いんだろう。

飽きもせずに色々と話しかけて来る。

何を考えているのだろう。

復学初日の一限目。

座っていただけなのにどうしようもない吐き気とだるさが襲ってきて、教室から逃げてしまった。

原因は、あの日の朝、拒絶反応を起こし始めた身体を落ち着かせる為に飲んだ薬。

あれは通常夜に、寝る直前に飲む薬で、効果はあるが反動が大きい。

そう分かっていたけど、貴樹にも止められたけれど。

逃げ出したものの、すぐに動けなくなってしまい、どうしようかと考えてたところに橋葉が来た。

そのまま保健室まで連れて行ってくれて、よく分からないままそこで終わった。

感謝はしている。

けれどそれを理由に100%の信頼を寄せられるかというと、それはまた別問題で。

人を簡単に信じることが出来たらどんなに楽だろうか。

何事も無く4限目まで終わり、昼休憩に入った。

時間の流れが随分ゆったりと感じられた。
眠たい空気。
眠そうな教室。

お昼を食べる場所は各自自由なようだ、と、この数日で分かっていた。

食べる場所は決めていた。

食べる場所、というより休む場所。

昼は基本的に食欲がなく、食べられない。

一時期ではあったが、「食べる」という行為そのものが「生きている」ことそのものの証明である気がして・・・実際そうなのだろうが・・・それが苦痛で、食事が一切出来なかった。

その状況からは脱却した今でも、食べることには漠然とした抵抗があって、食が細いのには変わらない。

ミネラルウォーターのペットボトルとピルケースを鞄から取り出した時だった。

「和泉、ここでお昼食べない?」

左隣りから声を掛けられる。

(・・・うんざりだ)

何を考えているのか分からない。

信用させてどうするつもりなんだろう。

橋葉を中心に集まり始めていた数名も、「またか」という表情をした。
音もなく溜息を吐かれるのが見えた。

周囲から好意的に見られて居ない事くらい分かっている。

そこまでして関わって、何のメリットがあるのだろう。

「・・・一人がいいから」

そう言い残して、教室を後にした。

屋上に続く階段の踊り場。

屋上は通常閉鎖されているため人気は一切ない。

和泉は内側に当たる階段に腰を下ろした。

ここならば人は居ないし、おまけに一見しただけじゃ誰か居るのかも分からない。

和泉にはうってつけの場所だった。

本来ならば食後に飲むべき薬を水で流し込み、上方にあるはめ殺しの窓を見上げる。

(……くも、)

風があるのだろうか。

雲の形が秒刻みで変化する。

目で追っていくと当然窓枠で途切てしまう雲。

その時には新たなそれがゆったりと視界に現れる。

いずみ、と呼ぶ声を思い出していた。

少し間延びしたような、それでいて芯の通った声。

信用したい。信用してはならない。

天秤はどちらにも傾かない。

薬の所為だろうか。

頭がぼんやりしてきた。

「いーずみ」

突如、声が響いた。

驚いて握っていたペットボトルを落としてしまう。

ぼこん、と鈍い音が立つ。

その音が肯定のサインになってしまった。

ペットボトルを急いで拾うが、時既に遅し。

「やっぱりここか」

リズム良く階段を登ってくる音がする。

その音が近づくにつれ動悸が強まり、息苦しさと恐怖、焦燥を覚える。

(…くるしい…)

手すりの向こう側に橋葉の頭が見え、その頭はくるりと此方を向き、にっこりと微笑む。

(……怖い…)

「和泉、ここに居たんだ。教室来ない?皆でお昼食べようよ」

滑舌良くゆっくりと話しかけられた。

その微笑んだ視線がちらり、と移動し、おれの手元で止まる。

「…和泉、お昼それだけ?まさか昼忘れたとか 言ってくれたら購買の場所教えたのに!」

橋葉がおれの掴んでいるペットボトルに手を伸ばす。

何気ない行動に理由も無く苛立って、気付いたらその手を払っていた。

人気のない所には音がよく響く。

さっきの橋葉の声がそうであったように、ぱしん、という音が大きく響いた。

自分でもそれに驚いたが、相手もまた然り。

吃驚したようにじっと見られ、この場を去りたい、と強く思った。

立ち上がり、急いで階段を降り、逃げ出すつもりだった。

しかし、そんな思いとは裏腹に、急に立ち上るという動作は、眩暈を引き起こした。

「……っ」

視野が急激に狭くなった様に感じ、徐々にブラックアウトする。

手すりが腰に擦れるのを感じた。

その向こうは、階段。

どこか遠くの方で名前が呼ばれた様な気がした。

〈reception:I :END>

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