大過去

和泉の見た夢。過去回想あり。

***

暫く見ていなかったあの夢を、見た。

この間、保健室で見たまどろんだ夢とは違い、過去の細部まで丁寧に再現された夢。

体温、日差し、部屋の壁にある小さな汚れ。

そんなものまで緻密に再現されていた。

気分が悪くて保健室で眠っていた。

カーテンの開く音で目が覚める。

あいつかな、と思って、嬉しい気持ちで満たされる。

けれど、カーテンを開けたのはあいつではなかった。

そこに居たのは見たこともない大柄な数名だった。

ネクタイの色で上級生だ、と分かる。

手がのびて来て、肩をつかまれる。

必死で叫ぶ声は、彼らの笑い声でかき消される。

悲鳴。

怖い怖い怖い怖い

逃げようと身を捩るが、力の差は歴然。

無我夢中で、花瓶を掴み投げつける。

花瓶の割れる音と、彼らの激昂する声。

きらり、と何かが光を弾く。

身体に痛みが走る。

顔も思い出せない母親の笑い声。

顔も思い出せない父親の笑い声。

撫でられる頭。

そして崩れていく二人。

泣き叫ぶが崩壊は止まらない。

真っ暗な中二人は横たわっていた。

響く叔母の声。

あなたの所為よ。

殴られる感触。

ごめんなさい、と叫んでも叔母はまくし立てる。

あなたの所為よ、あなたの所為よ、あなたの所為よ。

力なく倒れこんだおれの手足を上級生は押さえつける。

ちらり、とあいつが笑いながら上級生と話しているのが見えた。

叫ぶのを止めた。

考えるのを止めた。

助けは来ない。

「…!!!!!!!!!」

ベッドから飛び起きた。

身体が震えるのを抑えることができなくて、両腕で身体を抱き込む。

背筋の凍りつくような恐怖を感じ、膝を立てて丸くなった。

それでも、震えは止まらなかった。

ここは、自分の部屋。

朝日が異常なほど眩しくて、目が眩んだ。

上級生に両親に叔母。

様々な声がでたらめに頭の中で響き渡る。

頭が、割れそうに痛い。

冷や汗で背中が濡れているのが気持ち悪い。

強い吐き気を催し、ベッドから這い出した。

貴樹が朝食を作っているのだろう。

食べ物の匂いがして吐き気をより一層助長した。

階段を駆け下り、トイレに飛び込んだ。

鍵も掛けずにかがみこむ。

全身の力が抜けて、ただ吐き気しか感じられなかった。

尋常でない勢いで階段を降りてきたおれに驚いたのか、貴樹がおれの名前を呼ぶ声が聞こえた。

「げほっげほ!はっはあっ…っげほっ」

吐瀉物が洋式トイレに叩きつけられる。

「…っう、おえっ…ぅ…ぐ、げほっゲホッ」

苦しくて息が出来ない。

意識が朦朧としてきた。

どこか遠くの方で、足音が聞こえる。

『直矢!直矢!どうした?調子悪い?直矢!』

ノックの音が響いた。

おれの吐き出した吐瀉物の、ばしゃばしゃという汚らしい音と重なる。

心配そうな、鬼気迫った貴樹の声と、彼らの声が、頭の中で木霊する。

「っ!げほっ は、はあ、…っぅ…」

「入るぞ、」という声とともに、貴樹がドアを開けた。

依然として嘔吐衝動は止まらない。

苦しくて、怖くて、涙が溢れた。

「大丈夫か?」

便座に手をかけ吐き続けるおれの背中が、暖かい手でさすられる。

「お、えっ…げほっゲホ!っ…ゲホゲホッ」

貴樹がペーパーを手に取り、糸を引く唾液を拭った。

「…う、ぅあ…っひ、はあ、はっ…」

泣きながら呼吸を整えようとするが、それはひどく難しい動作だった。

いくら整えようと深く息を吐いても、しゃくりあげてしまって無駄になる。

「…また、あの夢か」

貴樹が、おれの体調を気遣い耳元で尋ねる。

応えの分かっている質問程虚しいものは無いだろう。

首が痛くなるほど何度も頷く。

誰か、誰か、だれか、

気付いて、気付いて欲しいんだ、

「…っふ、怖……っ怖い、ごめんなさい…っ」

「……直矢…」

心配とも同情とも諦めともつかない貴樹の声。

ほんとうに、消えてしまいたい。

全てから逃げ出したい。

あいつらの声と、「あいつ」の笑い顔が頭から離れなくて、貴樹に背中をさすられながら、いつまでも泣き続けた。

〈大過去:END〉