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「………っぅ………」
パソコンのモニターの前、キーボードを操作していた真澄は、襲ってきた腹部の痛みに俯いた。
朝から始まった腹痛は、昼近くなった今まで、断続的に痛みを生み出していた。
痛みにも波はあるが、徐々に強さを増すそれに背筋が寒くなる。
(………治まれ、よ……っ)
左手で腹を擦るようにさすり、睨むようにして再びモニターを向く。
そして自由な右手で遅々と作業を進めた。
(……腹痛い)
ぽん、と表示されるエラーメッセージ。ミスが増えて、苛立ちが募る。

 

結局、佳隆の誘いに甘えてしまった。

「一緒に暮らそう」という佳隆の提案に頷いた。以前住んでいた賃貸はすぐに解約し、携帯も変えた。殆ど身一つでやってきて、三食までついてくるという好待遇。個室まで与えられたのだから驚いた。
「この部屋を使って」「好みもあるだろうから、家具は追い追い買い足していこうね」俺に部屋を見せる佳隆は嬉しそうだった。
あまりに申し訳無くて、何もしなくていいなんて落ち着かなくて、せめて働こうと求人情報を調べてみたりした。それも佳隆に感づかれやんわりと反対されてしまう。それでも、佳隆に頼りきりの現状をただ享受することはできなかった。
折れずにどうしてもと頼み込む。すると佳隆は自分の仕事を手伝ってみないかと提案した。佳隆は学生時代に立ち上げたIT企業で、主にゲームや企業のシステムを作っている。
こうして手にした職は、佳隆が動かす会社の雑用係。
用意してもらった仕事で、とは思ったが、やるべきことができてようやく自分の輪郭を得た気がした。
佳隆は俺に甘い。
だからこそ、せめて与えられた仕事くらい、完璧にこなしたかったのだが。

「……っあ、………っ」
刺すような痛みが広がり、皮膚の下でぞわりと臓器が蠢いた。
情けない音が響いて泣きそうになる。
納期は、今日の午後。
隣の部屋で寝ている佳隆が、データを取りに来る予定だ。
俺に渡される部分なんて単純な入力作業で、にわか仕込みの知識でも事足りる程度の難易度。一応、といったかたちで設けられる作業期間は毎回様々で、今回は一週間だが、佳隆のところのスタッフにかかれば当然ながらその半分も不要だろう。
だからこそ、なるべく早く、早く。
負担になりたくない。そして足手まといにならないようにしたかった。
なのに今回、与えられた仕事は半分も終わっていない。
理由は明白。
ここ連日、酷く体調を崩していた。
精神的なものだとは分かっている。
自分の不調の原因を、しかもそれが精神状態に起因するものなら余計に、自分自身で見つけ出して解決するのは難しい。誰かに自分を分析して貰いたいような、その一方で突きつけられるのは怖いような、微妙な葛藤すらある。
それに、新たな企画を始めたばかりで、忙しさのピークを迎えている佳隆に、最近触れていない。佳隆は昼夜逆転の生活をしているから、1日のうちに顔を合わせることすら少ない。
これなら、何の為に一緒に暮らしているのか。
家事もろくに出来ない、仕事も出来ない、セックスの相手も出来ない。
曖昧になっていく存在意義。
そもそも、そんなもの、はじめから存在していたのだろうか。

「………!」
突然、捻れるような痛みが襲い、思わず身を捩った。
机に伏せたはずみで押されたキーボードがエラー音を響かせる。
(………、トイレ)
あ、と思った時には遅く、肛門に感じる嫌な不快感。
同じ下すにしても、水に近づくにつれ我慢の自制が効かなくなるから、本当に困る。腹圧をかけずとも自然に溢れてくる、といった感じで、常に括約筋は緊張状態。ぎゅる、と音がして血の気が引く。体は早くしろと急かす。立ち上がろうとして痛みに叶わず、崩れるように腰を下ろした拍子に水っぽいものが直腸を通って、ぞわりと鳥肌が立った。
トイレに行くには当然部屋を出なくてはならず、間取り的には佳隆の部屋の前を通らなくてはならない。
それまでの間、まっすぐ歩けるだろうか。早くしないと、まずい。でも、もう少ししたら、少しだけ治まってくれるかもしれないし。
葛藤する間にうしろへの圧力は徐々に切羽詰まってくる。
痛む腹に体力を削られ、漏らさないように神経を使うこともつらい。
どうしよう、どうしたらいい。
焦りばかりが募っていく。
いい年して、自分の部屋で下痢便を漏らしそうになるなんて、惨めで滑稽で、それでもやっぱり痛みには勝てなくて、泣きそうになった。
「………っぁ、!……っ!」
一際強い、波。
いよいよ危機感が現実味を帯び、机に体重を預けながらよろよろと立ち上がった。
トイレ、行きたい。
腰が引けた不自然な前傾姿勢で、なんとか部屋を出る。
しゃがみ込んでしまいたかったが、そうなったら絶対に決壊してしまいそうな確信があって。少し進んでは立ち止まって、また歩いて、たった数メートルが遠い。
心臓が跳ねたのは、人の気配と足音を感じたから。

「あれ、真澄くん。おはよう」
キッチンからひょっこりと顔を出して、目を合わせて微笑む佳隆。
慌てて背筋を伸ばし、腹を抱えていた両腕を離した。緩いスウェットの生地を掴む。そうしないと、行き場を失った手はすぐにでも腹を庇ってしまいそうだったから。

(何で起きてんの……!?いつも、まだ、寝てる時間……)

なんでもない風を装ってあいさつを返すも、内心動揺でいっぱいだった。うまく笑えているだろうか。そうしているうちにも下腹はぐるぐると音を立てて俺を急かす。手のひらに変な汗をかいていた。

「六時頃布団に入ったんだけど、なんか目が覚めちゃって。真澄くんは?」
「ん……。仕事してたら喉渇いちゃってさあ。なにか飲んで、トイレ行って戻ろうかなって、出て来たとこ」
「僕はお茶でも飲んでまた寝ようかな。真澄くんもいる?」
「いい、いい。自分で、やる、」

平静を装うのは当然つらくて、体は今か今かとせっつくし、とにかく早くトイレに行きたかった。腹をすっきりさせてしまいたい。
もう、多少ばれてもいい。腹を抱えて丸まりたい。
グウゥ……きっと自分にしか聞こえないくらい小さく、でも確実な痛みを伴った悲鳴。耐えられなくて左手を腹部に添える。
ああでも、やっぱり気づかれたくない。
早くこの場を切り抜けて、トイレに行って吐き出したい。
悶々と考えていると、急須と湯呑みを持った佳隆がキッチンから出て来た。

「じゃあおやすみ。仕事無理しないでね」
「うん。おやすみなさい」

肩をぽん、と叩かれる。
吃驚するほど体が強張っていたことに、そこで初めて気付く。
佳隆が部屋に入るのを見て、トイレに駆け込んだ。

***

外の明るさで朝を迎えていたことには気付いていた。
六時頃ようやく仕事を終え、布団に入って数時間、脳と目を休ませる。そうして、とくに何かがあったわけではないだろうが、ふと目が覚めて体を起こす。
睡眠不足から鈍く痛む眉間を揉む。朝日が眩しい。
別にこんな生活をする必要は無いだろうと何人かに言われたが、深夜の方がアイデアが湧くし、自分が学生時代からの癖でもあった。
その〝癖〟はそのまま習慣となり、もうすっかり定着している。朝起きて、夜に眠る。そのような生活こそ、自分には特に必要の無いものだと感じていた。
しかし、今は生活の中に真澄くんがいる。彼と暮らすようになったのだから、この習慣も改善したいと思うようになった、
一緒に暮らしているのに、生活時間帯が合わないなんて、あまりに勿体無い。
少し前から真澄くんに仕事の一部を任せるようになって、その手際の良さには正直驚いている。何より、数字と記憶に強い。
簡単な説明をしただけで、教えた内容の仕事に関しては本職とほとんど変わらないスピードで完成させるのだから、もともと向いていたのかもしれない。専門のスタッフが少し可哀相なくらいだ。
そういえば、スタッフからメールが届いていた。業務報告に、「光の君に会わせてくださいよ」と冗談めかした追伸を添えて。彼らがしきりに真澄くんを見たがるのをなにかと理由をつけて回避しているのだが、なかなか彼らも引きそうにない。
人柄を重視した採用方針だから変な事はしないだろうと分かっているのに、これは完全に僕のエゴだ。

欠伸をひとつして体を伸ばし、こわばりをほぐす。暖かいお茶でも煎れようと思いついて、作業部屋を出る。寝室は別に設けているのだが、仕事が立て込んでくると作業部屋のソファやクッションなんかで仮眠を取ってしまうことも多い。真澄くんがいるのに、これもまた勿体ないことをしている。やっぱりすぐにでも習慣を変えよう。
お湯を沸かして茶葉を用意していると、足音が聞こえた。
真澄くんだな、と思い、手を止めて廊下側へ向かう。
「真澄くん、おはよう。」
そう声を掛けると、俯き気味に歩いていた真澄くんは顔を上げ、微笑んだ。
なんだろう。何かがへんだ。微かに、違和感を覚える。

「六時頃布団に入ったんだけど、なんか目が覚めちゃって。」
「へえ、そうなんだ」
「真澄くんは?」
「ん……、と。仕事してたら喉渇いちゃってさあ。なにか飲んで、トイレ行こうと思って、今出て来たとこ」

言葉を交わすうちに違和感の正体が掴めた。体調が優れないのを隠している。
顔色は紙のように真っ白で血の気がない。
こめかみの辺りにうっすらと汗が滲み、前髪が張り付いている。
僕の前だからと、なんとか気丈に振る舞っている、といった感じだ。
時折眉間にぴくりと皺が寄る。
わずかに、身を捩った。

「僕はお茶でも飲んでまた寝ようかな。真澄くんもいる?」
「っ、いい、いい。自分で、やる」

『喉が渇いた』と言った彼は、しかしお茶は要らないと言う。声にも焦りが滲んでいた。どうやら、それほどまでに調子が悪いようだ。表情はきつそうに曇っていき、もう微笑む余裕は無いらしい。
僕がいたらきっとトイレには行かないだろう。
急須や湯呑みなど全て抱えて、退散したほうがよさそうだ。

「じゃあ、おやすみ。仕事、無理しないでね」
「うん、おやすみなさい」

すれ違い様肩に手を置くと、びくりと全身で跳ねる。
迂闊だった。彼は全身を強ばらせて、ただ立っていつも通りのふりをすることに神経を張り巡らしていたのに。
不安と、心配が膨らんだけれど、真澄くんから発せられる鬼気迫った雰囲気とでも言うべきか、とにかく僕がこの場を立ち去ってくれることを切望していることがひしと伝わってきて、従わないわけにはいかない。
部屋に入って、すぐには動かず外の気配を窺っていると、暫くして荒っぽい足音と、乱暴にドアが閉まる音がした。
普段の真澄くんでは有り得ない。
慌てて外に出てトイレに向かい、扉に近づいてはたと足を止める。
個室から聞こえて来たのは、明らかに下している音。
勝手に、ただ気分が悪いだけだと思っていた。
ここまで下しているのだから、きっと腹痛も酷かっただろうに、自分の前ではそれを隠そうとしていたという事実がやるせない。
水が流れるような音に混じって、はっきりとそれと分かる音が聞こえたが、この様子では出しているものは殆ど水だろう。つまり、出すものがない、という状況。
ぐうっと喉奥がよじれるような音がして、低く抑えた呻き声が続く。空えずきだろうか、聞こえてもおかしくないはずの水音は聞こえず、しばらくの沈黙。
絶句して、息をするのも忘れていた。水を流す音がしてはっと我に返る。必死で僕に不調を見せまいとしていたのに、すぐ外で聞かれていたなんて知ったら最悪だろう。急いで部屋に戻ってドアを閉める。少しして、不安定な足音が扉の前を通過した。

「………真澄くん」
彼は、いっそ強情なまでに弱った姿を隠したがる。
ここでの暮らしも僕のエゴの帰結点で、罪悪感を感じるべきは僕なのに、彼はなぜか自身に負い目を感じている。
分からない。
分からないから、知りたいのに、きっと真澄くんは知られる事を罪だと感じている。
居ても立ってもいられなくなって、足は真澄くんの部屋に向かっていた。
鍵は掛かっていなかった。中に飛び込めば、机に伏せる彼が視界に映る。
突然の物音に驚いた顔を上げて振り向くも、蒼白な顔面には苦悶の色が滲んでいた。
こんな体調で、仕事をしようとしていたのか。
視線がぶつかる。

「真澄くん、辛いなら言って。具合が悪いなら教えて。嫌なことは言ってくれて構わない。何で我慢しようとするの」

思わず強くなる語気に、彼は俯いた。

「違う、怒ってるんじゃない。真澄くんが心配なんだ。お願いだから布団に入って」

モニターに映る画面を見ると、いつものペースの半分も終わっていなかった。
いつから、こんなに具合が悪かったのだろう。
同じ時間帯を過ごしていれば気付けたかもしれないのに。

「ほら、………立てる?」
「………っ」

体を支えると力無く立ち上がり、よろよろとベッドに向かおうとする。
両手で腹部を抱え込んでいるうえに、痛みが酷いのだろう、服の上から鷲掴みにしている。その下からは、ぎゅる、ぐる、と、さっきからひっきりなしに腹音が響いている。
辛そうに顔を歪ませる真澄くんと目が合ったと思えば、すぐに逸らされてしまう。

「………やだ、きかないで………」

ああ、と思う。こんなことを口にしたら怒られるだろう。赤みの差した目尻に涙を滲ませる真澄くんを、たまらなく愛しく感じる。
嫌なら断っても大丈夫。罵られたって構わない。この家に、無理に引き留める気はないし、縛り付ける気なんてさらさらない。そうは思うも、すんと鼻を鳴らして強引に目元を拭う真澄くんを見ると、このまま閉じ込めてしまいたくなる。誰にも見せたくない。自分だけのものにしたいと、こんな時なのに思い巡らせてしまって、自戒してブレーキをかける。
お腹を庇うことで両腕がふさがった彼の代わりに布団を開く。横になるよう促したが、しかし彼は首を横に振った。
ベッドの上で、お腹を抱えながら、体育座りで丸くなる。頭を膝に預けてきつくお腹を押さえ込んだが、力みすぎてかえって痛くはないのだろうかと心配になる。

「その体勢の方が楽なの?」

そう聞くと小さく頷くのが見て取れた。
痛みを代わってあげられないことを、こんなにもやりきれなく感じたことはない。
薄い背中に軽めの布団をかけて、その上から薄い背中をさする。拒否はない。真澄くんにとって、これは不快ではないようだ。
相変わらずその内側からはくぐもった腹音が聞こえ、真澄くんは時折体を強ばらせたり、身を捩ったりして、波がある痛みに耐えている。

少し前のことを思い出していた。
夕飯の後、真澄くんがトイレで吐いていることに気付いた。
彼が体調不良から嘔吐しているのを見るのはその時二度目で、ひょっとして持病でもあるのかと、個室から出て来た時を見計らって聞いてみた。
吐いた直後の疲弊した声で、彼は、そうではないと首を振る。新しい環境になじめていないだけだと、俯き、床に落とすように呟いた。
そこには謝罪の響きがあった。
慣れない環境で体調を崩したと言うことで、今の生活にストレスがあると告げることになるからだろう。
真澄くんが僕に対し、仮面を被って相対している自覚はある。いつかのホテルで「あんたは何も分かっていない」と叫んだ彼が本物なのだろう。
誰しも程度の差こそあれ、仮面を被ることで環境に適応していく。仮面を持たない人間なんて存在しないものだと理解しているが、真澄くんの場合、きっとそれが凄く厚い。
常に仮面を被ることに気を張って、素のままを出す機会を無くした結果、自分でそれを外す方法を忘れてしまったのではないだろうか。
だから、感情が高ぶった拍子にコントロールを失う。
真澄くんのことが知りたい。
真澄くんが一番安心出来る場所になりたい、と願う。

「………っ」
静まり返った部屋で、突如真澄くんは息を詰めた。
膝から微かに顔を上げ、視線を落としたまま唇を噛む。
一層大きな腹音。
それに呼応して目をきつく閉じ、眉間に皺を寄せた。
「真澄くん?」
話し掛けるも返事は無い。
真澄くんは緩慢な動作でベッドを降りようと背を起こす。
「………、トイレ、行きたい………」
消えそうな声でそう呟き、立ち上がろうとするも、うっと呻いて体を折った。
じっとしていられない様子で、下半身を忙しなく動かしている。
「………っ、………っぅ、」
強く噛んだ唇から血が滲んでいるのが見えて、もう遠慮はできなかった。
「真澄くん、ごめんね」
返事を待たずに、足の隙間と脇に手を通し抱え上げた。
「ひっ、や、っやだ、待っ」
真澄くんが悲鳴のような声を漏らす。
歩いて移動するのはどう見ても不可能そうだったし、間に合わなかったときの彼のダメージを考えたらこうするほか浮かばなかった。
酷く我慢のしづらい体勢だとは思う。
ごめんね。
「や、や………っ!よしたか、さ………っ、」
あと少し、という廊下の途中で、真澄くんが激しく身じろいだ。
「わ、危ない、っ」
落としてしまう、そう思い、床に下ろすが早いかしゃがみ込んだ。
俯いたまま両手でお尻を押さえている。
フローリングの床に涙が落ち着いた。
汚してしまってもまったく構わなかった。
苦しそうな真澄くんを見る方が嫌だった。
しかし彼は、暫くそのまま静止した後、お腹を抱えてふらつきながら立ち上がった。壁に体を預けるから、思わず引き寄せて歩幅を合わせる。刺激を与えないように、あと数歩の距離をゆっくりと進む。

やっとの事でトイレまで辿り着き、便座に腰を下ろした真澄くんは、堰を切ったように泣き出した。
完全に液状の下痢は、なかなか治まってくれない。このままでは脱水症状を引き起こしてしまうと、水を持ってきて飲ませたが吐いてしまった。
出し切って、下痢が落ち着いてから水分を取らせたほうが良さそうだ。そう心に決めて、ただ真澄くんが泣き止むのを待つ。
「……やっぱり、ここで暮らすこと……君の負担かな」
背中をさすりながらふと口にしてしまった言葉に、真澄くんは驚くほど過敏に反応した。
がばりと顔をあげ、流れる涙には気にもとめずに首を振る。咄嗟に、といった勢いで袖を掴まれ、慌てて口を噤んだ。
「ちっ、違う、………違う…っ、ちがう…っ」
息が上がっている。「真澄くん」確かめるように名前を呼んだ。返事はない。

「真澄くん、ごめん、そういう意味じゃ」
「違うっ、ちが………、嫌だ、ごめんなさい、ごめんなさい…っ」
「真澄くん、聞いて」
「す、っ、捨てないで………っ、嫌だ、捨てないで、ごめんなさ………っ、」

思わず、真澄くんを抱き寄せていた。
背骨の凹凸を二つ、指でなぞる。

「真澄くん、聞いて。捨てたりしない。絶対に。真澄くんが出て行きたくなるまで、ここに居て良いんだよ。嫌になるまで、ここに居て下さい。僕が、居て欲しいんだ。捨てたりしないから、お願い、落ち着いて」
「………っ、」

耳元で、ずっ、と鼻を啜る音がした。
肩に暖かいものが落ちた。
違う、と、また彼は呟く。

「違う、信じて………っ、俺、いやなことなんて、無いのに、なんで………!」
「………真澄くん、」

まるで迷子の子どもみたいだ。庇護を求めながら、どうしていいのか分からないから泣くしかない、迷子の子。見ていると痛いような、もどかしいような気持ちになる。
真澄くんは、自分の仮面に気付いていない。
無自覚のまま、自分自身を追い詰めて、傷つける。
真澄くんが、ここに居たいと思ってくれている間に、何とか、真澄くんの仮面を外してみたい。檻を壊して自由になった彼を見たい。
彼が素のままで居られるような、そんな場所になれたらいいのに。
俯いた真澄くんの表情は分からなかった。

***toi et moi 3 :END

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  1. ピンバック: toi et moi – Lepsy02

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