先輩

〝客〟は、学校の外だけではない。

外で知り合った人が学校の中にもいたということもあれば、どこで伝え知ったのか、あるいは分かる奴には分かるのか、校内で「お前、売ってるんだろ」と無遠慮に訪ねられることもあった。

イエスかノーで聞かれれば、当然イエス。
さすがに後輩にはいない(と思う)が、先輩や先生に買われることは、もうそんなに珍しくなかった。

小野一志先輩も、その内の一人。
最近知り合ったこの先輩は、性癖が歪んでいた。
屋上で首を絞められた時には冗談抜きで意識が遠のいたし、剥き出しのコンクリートに擦りむいた背中が痛かった。外で会ったときには全く面識の無い男を連れていて、そいつに犯される所が見たいとにっこり笑った。受け入れる義務はないけれど断る理由もなくて、言われるがまま従った。
外面も良く、外見だけは誠実そうな好青年然と整った先輩は、サディスティックな性癖を持つ変態だったのだ。
勿論、人のことを言えた道理じゃないってことは、痛いほど分かっている。

そんな小野先輩が今ハマっているのは、スカトロプレイ。
以前外で会った客ほどえげつない、ハードなものではないのが救いだ。

鞄の中で、無造作に突っ込まれた紙幣が丸まっていた。生きるために必要なもの。それら全てはこの紙切れで代替可能だ。信頼の社会システムの中に組み込まれたルールだけは、誰にでも平等で、慈悲の欠片も無いほど均等に配分されている。

崩れるのは、きっと一瞬だ。

***

眠気覚ましにコンビニでブラックコーヒーを買う。
缶コーヒー独特の、少しツンとした薄い味が嫌いだったが、それしかなかったのだから仕方がない。パキッとプルタブを引いて、薬と思って一気に飲み干す。
ごみ箱が近くに見当たらなくて、真澄はそれも鞄に押し込んだ。うんざりするような坂道を登って、緑に囲まれた校舎を目指す。

携帯がメールを受信したのは、ちょうど下駄箱から内履きを掴んだとき。
バイブの振動を感じて尻ポケットから取り出すと、小野先輩からの連絡が届いていた。

『今日の放課後ね』

周囲の雑踏が、ふっと遠退く。離人感とでも言うのだろうか。昼と夜が切り替わるように、曖昧で、それでいて明確なリセット。
その一文が意味するところは、取引の〝お誘い〟と、放課後までの排泄禁止命令だった。
真澄は目を伏せ、小さく溜め息を吐く。

「はい」返信を送る。

コーヒーの選択は失敗だったな、と、階段を上りながらぼんやり思った。
うんざりするような、毎日だ。

 

(あー……、トイレ、)

何事もなく時は流れ、午前中の授業が終わった。尿意を意識するようになったのは、午前最後の四時間目の途中。
下腹がむずむずしてきて、思わず時計を見上げた。前髪の隙間から時刻を確認する。今が何時だろうと、何時間我慢をしていようと、放課後に約束があるのだから、全く無意味な行為だった。
チャイムが響いて昼休みに入る。「便所行ってくる」「あ、俺も」という話し声を、羨ましく感じてしまう。
真澄は鞄から覗くコーヒーの空き缶を恨めしく睨んだ。

じっとしていると嫌でも気になってしまう。大丈夫、まだまだ全然、平気。
気を紛らせようと立ち上がり、購買へ向かった。すれ違う人とぶつかりそうになってヒヤリとする。殆ど本能的に下腹部を庇いながら、昼食にお握りとチョコレートを購入。喉が渇いていたが、余計な水分を取るのは躊躇われた。ああ、クソ、煩わしい。

手入れの行き届いていない校舎裏の、錆び付いたベンチに腰を下ろす。鬱蒼とした木々と、伸びっぱなしの芝生。透明な青空に見下ろされて、なんだかいたたまれない気持ちになって視線を地に落とした。

食欲はなかったが、半日過ごせば適度に空腹を覚える。包装紙を剥がしてお握りをもそもそと口に入れる。具材は塩鮭。咀嚼して、飲み込む。
人目が無いのを良いことに、イライラと貧乏揺すりを繰り返した。

──ちょっと、キツいかも。トイレに行きたい。

足を揺らす度、膀胱の中に溜まったおしっこが波打つような錯覚。その感覚も気持ち悪いのに、もうじっとしていることは出来なかった。
放課後って、いつだろう。
二年はあと二時間で終わるし、俺は部活も委員会もやってない。けれど小野先輩は、確かサッカー部のキャプテンだった気がする。もし今日が活動日なら、彼の言う放課後はその後──……もしかしたら、もっと先……

悶々と思考を巡らせ、はっと我に返る。こういうのが、先輩の思うツボなのだ。
朝になって突然メールで命令してきて、こちらの精神的余裕を削る。それが、先輩の大好きな歪み。
いったい、何をやってるんだろうな、と虚しさに包まれる。けれどこの商売をやめることは出来ない。自分には、これしかないのだから。
木々が擦れあうざわめきの中に、飛び込んできた無機質なチャイム。授業開始五分前を知らされる。慌てて食べかけのお握りを詰め込んで、ベンチから腰を上げた。戻りながら水道で口を濯ぐ。

水の流れる音に、膀胱がきゅっと縮まった。一瞬で冷や汗が吹き出し、背筋が凍る。
その場にしゃがみこんでしまいそうになるのを意地だけで堪えて、逃げるように手洗い場を去った。

あ、チョコ、置いてきちゃった。

***

五時間目が始まってすぐ、尿意は無視できないほどに膨れ上がった。脇の下に、こめかみに、嫌な汗が滲む。
ペンを持つ右手が震えた。
椅子に浅く腰掛け、何度も何度も足を組み替える。長い前髪の下、真澄の眉は苦しげに顰められていた。
教壇に立つ先生の話なんて、少しも頭に入ってこない。今考えられるのは限界を迎えそうなおしっこのことと、それをどうやって先伸ばしにするのかということだけだった。
ぐっと筋肉を緊張させ、少しでも意識を反らそうと手のひらをつねった。
太股がぴくぴくと痙攣する。
ポケットに手を突っ込んで、思い切り前を押さえたい。握り締めて、出口を塞いでしまいたい。けどそんなこと、教室で、出来るわけない。
話し相手も友達も、知り合いと呼べる人もいないこの教室だったが、それでも。

「ちょっと」

突然肩を叩かれて、文字通り跳ね上がる。振り返ると、後ろの席から訝しげな視線が向けられていた。
プリントを差し出している。どうやら後ろから送って回収されるらしい。

「あ、…………悪い、……」

受け取って、殆ど埋まっていない、白紙に近い自分のプリントを重ねる。

「なあお前、顔色悪くねえ?大丈夫?」

言葉が続いて、ぎょっとする。こいつ、誰だっけ。伊達眼鏡の向こうに、恐らく一度も話したことのないクラスメイトを捉えた。
何度も色を抜いたような、透けるような金髪。不審そうに寄せられた眉。

「………だ、大丈夫……ごめん」

顔を合わせないように前に向き直る。もしかして、尿意を我慢する、不自然な動きに気付かれてしまったのだろうか。 羞恥で、かっと血がのぼる。
そろり、ぎりぎりの攻防を担う膀胱の辺りに手を添えてみる。制服の上からでもはっきりと分かるほど、パンパンに膨らんでいた。

結局、次の時間、真澄は授業を抜けて保健室に向かった。体育の時間だった。ジャージに着替えたところで限界だった。誰もいないのをいいことに、入室記録も書かずにまっすぐにベッドへ向かう。「もうむり」小野先輩にメールを送る。
教室にいたって気を抜くと足は震えてしまうし、腰を揺らしてしまう。それを無理矢理押さえ込んでいるのだから、我慢は輪をかけてつらいものになっていた。
飛び込んだのはカーテンに仕切られた空間。視線に晒されることのない安堵から、もう形振り構うことはできなかった。

せわしなく太股を擦り合わせ、足をばたつかせる。
下半身を上下、左右に揺らす。真澄のジャージには柔らかいシワが細かく寄り、ベッドのスプリングが軋んだ。
細い出口を求めて暴れる奔流が苦しくて、吐き気までしてきた。
悔しさと、情けなさと、あらゆる方向に苛立ち、舌打ち。
狭いシングルベッドの上を転がるように、何度も何度も体勢を変える。「うう、」と唸り声が漏れる。
クッと乾いた笑い声が、聞こえた。

「そんなにおしっこしたいの、真澄」

上機嫌に微笑みながら、小野先輩がカーテンの向こうに立つ。はっとする。来た。カーテンの隙間から滑り込んでくる先輩は、スキップでもしそうな足取りだ。クソ、変態、と心の中だけで悪態をつく。真澄は半身を起こし、すがるようにその長身を見上げた。両足は相変わらず、もじもじと動きを止められないでいる。

「おの、せんぱ、」
「なに?」
「もう、むり、無理」
「ふうん?」

小野先輩はそろりと指を伸ばす。真澄の下半身を撫でるように触れた。ジャージの隙間に指先をちょんと潜らせる。ゴムをぱつんと弾かれて、情けない声が漏れた。勿体付けたその動作。ぜったい、たのしんでる。

「おのせんぱ………、ッ、」
「どうしたの真澄」
「トイレ、行かせて……むり、もう、ほんとに、………」
「トイレに行って、どうしたいの?」

屈んで、目線を合わせて。にっこりと完璧な微笑を浮かべ、真澄の頬に触れる。伊達眼鏡を抜くように外す。長く重い前髪をよける。泣き出しそうな双眸を縁取る睫毛には、涙が絡んでいた。瞬きの度にぽたぽたと落ちる雫を、先輩は親指でこするようにする。からだのどこを触られても、もうだめだった。

「おしっこ、させてください………」
「そう」

真澄の懇願を満足そうに受け取って、目を細める。その微笑みのまま、肩をぐいと押されて、真澄はベッドに仰向けになる。限界まで膨らんだ膀胱が、さらに伸ばされる。きゅうっと収縮。少しも気持ちよくなんてないのに、小野先輩はヤってる最中のような顔をする。
仰向けになって、我慢のまったく効かない体勢で、立てた膝ががくがく震える。上下に激しくすり合わせる必死の抵抗を、先輩はあっさりと封じた。膝を上から押さえて、まるで介護でもするように両手で真澄の足を真っ直ぐにする。動きを止められた真澄は、嗚咽混じりの悲鳴を上げる。

「むりむりむり、やだ、むり、出ちゃ、………っ」

トイレに行きたくてたまらない。朝から溜め込んだ一日分の水分が、一ヶ所に集まって、真澄の内側を攻め立てる。

「これ、あれだね。真澄におしっこ我慢させるのはいいけど、可愛く我慢してるところ、見られないのが問題だね。学校だとさ。ねえ、こんなエロい姿誰かに見られなかっただろうね」

言いながら、先輩は薄い布団をそっとかける。邪魔だと真澄が端に追いやっていたやつだ。どこまでも歪んだ先輩は、残酷な一言を平気で落とす。

「じゃあ、放課後にね」
「は………!?」
「だって、朝そうやってメールしたじゃん。今俺、授業中。自習だけどね」

耳を疑う。
手をひらひらさせて、本当に出ていこうとする背中。慌てて先輩の名前を呼ぶ。小野先輩と呼んだのか、一志先輩と呼んだのか、定かではない。
クラスメイトの名前は覚えられないのに、覚えてたって仕方のない客の名前は学校の中でも外でも記憶に残る。
優しくしてほしいなんて思わない。

「う………、やだ、今……したい、」

いろんな感情がないまぜになって、両目から溢れた。
先輩は、満足そうに、頷く。

「ああ、泣いちゃったねえ。早く素直になればいいのに」
「………ひっ、う、」
「ちょっと待っててね」上機嫌に歌い出しそうな口調で、先輩はふらりとカーテンをくぐる。戻ってきたときには、両手に白いタオルを掴んでいた。

横になっているのはどうしてもキツくて、ベッドの端に正座して、震える両手で握り締めて、先輩の言葉を待つ。指先の感覚も、張りつめた下腹の感覚も、鈍い。

「備品だけどいいよね。たくさんあったし」
「………なに」
「はい。持っててあげるね。おしっこしていいよ」

先輩は床に膝をついていて、小刻みに体を震わせる真澄を見上げる。「は」「なに」理解できない。嫌な予感に、ぞっとする。
先輩は指を重ねて、ジャージを下ろそうとする。ひやりとした空気が隙間から入り込む。

「え?なに、えっ?」
「だから、これにしなさいって」
「いっ、いやだ、」
「トイレまで歩いて行けんの?」

笑みの含まれた、意地の悪い問い掛け。見上げているのは先輩なのに、手のひらで転がされているような感覚。
流されていた方が楽なこともあるってことくらい、知ってる。

「俺、制服の方が燃えるんだけどね、ほんとは」

ズボンを下ろされ、下着をずらされ、じんじんと痛みさえ訴える性器を取り出され。べつに排泄ための器官が性器じゃなくてもいい気はするのだが、とか、そんなことを思う。せり上がる尿意に呼吸がどんどん乱れていく。

「すっごい。真澄細いから、目立つね。すごい我慢、してるんだ」

本当に感心したような声で、ジャージの上までまくって膨らんだ下腹をまじまじと眺める先輩。外からの光と蛍光灯で明るい室内で、全裸になるよりもずっと恥ずかしいはずなのに、頭の芯が痺れている。殆ど自棄になっていた。
誰のせいで!クソ野郎、ど変態。喉の奥だけで、大声で叫ぶ。

「あ、」

気を抜いた瞬間、じわっと尿道が抉じ開けられる。背中にざわっと鳥肌が立つ。
射精するとき、みたいだ。

「おっと」間一髪、先輩のあてがったタオルに、放尿。これは、漏らしているのかな。白地の布におしっこが染み込んでいく。

涙が落ちて、伝った頬に先輩は満面の笑みでキスをする。愛情ではない。これは、愛着?それとも執着?
止まらないおしっこを、先輩はタオルで受け止める。気が遠くなるくらいだ。二枚のタオルが犠牲になった。悔しいけど、排泄できた快感はたまらない。

 

「キレイにしてあげる」

 

言うが速いか、排泄を終えたばかりの性器を先輩は躊躇いもなく咥え込む。頼んでもいないのに。サディスティックな性癖の先輩は実はマゾなんじゃないだろうか。言葉の通り、裏側も、窪みも、丁寧に舌が這う。腰に鈍い痺れが走る。心の中で先輩に向けた暴言は、みんな自分に降ってくる。皮肉な毒を持った言葉の槍に、視界を塞がれ真っ暗になった。

されるがまま流されながら、天上を見上げる。世界から音が消えていく。カーテンの向こうに窓が少しだけ覗いていて、そのさらに向こう側は夕焼けの色をしていた。

 

「実は、鍵、閉めてあるんだ」

 

呪いのようなものだった。

行為が終われば先輩は万札を二枚、ご丁寧に手渡しするのだろう。学生のくせに、どこからそんなお金が出てくるんだ。そんなことは追求したって仕方がない。
いずれにせよ、この紙幣二枚で、今月の光熱費と水道代は支払える。
それだけが、平等なルールの中の、客観的な事実。

 

***先輩:END

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