研究室旅行(下見)

夜中。たぶん、てっぺんから一時の間くらい。
唐突にやってきた吐き気に叩き起こされて、慌ててトイレに駆け込んだ。

便座の蓋を開けるが早いか、今の今まで息を吸ってていた口からは、逆流してきた胃の中身が飛び出した。たいして力も入れていないのに、一度、二度、続けて溢れる。まるでそうなるのが自然なことのように、なんの抵抗もなくあがってくる。

吐いたものがバシャバシャと水面を叩いた。寝る前に飲んだミネラルウォーターが少し濁ったような、ほとんど固形物のないそれを見下ろして、俺はすっかり面食らってしまった。

なにがなんだか分からない。意識はまだ半分夢の中にいる。
口もとを拭って、もう片方の手で水洗レバーを回す。吐物はぐるぐると渦巻いて流れていき、混乱だけが薄暗い個室に残された。そういえば、電気もつけていなかった。

すっかり吐ききってしまえば、飛び起きた時の吐き気は何事もなかったようになりを潜めた。洗面台で口をゆすいで、皆の寝ている部屋に戻る。足音で起こさなかっただろうか。そんな懸念が浮かんだが、隣に眠る同期の高らかないびきが都合よくかき消してくれた。

なんだったんだろう。暖房の効いた暗闇で、布団にもぐって考える。どこも痛くない、痒くもない。酒だってたいして飲んでいないし、風邪のような倦怠感もない。もうまったくいつも通りだし、さっき吐いたなんて嘘みたいだ。
そっと胃のあたりを撫でる。そ知らぬ顔で沈黙。
あれこれ思案しているうちに再び眠気に包まれて、寝返りひとつ、俺はもう一度眠りに落ちた。

***

高島の目が覚めたとき、同じ部屋で夜を明かした先輩も同期も、みんな夢の中にいた。
和室の四隅に敷かれた布団がそれぞれゆっくりと上下して、各々思い思いの体勢で寝ていることが分かる。頭の向きもてんでバラバラだ。

窓側の奥に仰向けで寝るのは三間先輩。背が高いのと寝相が悪いので両足がはみ出している。昨晩早々にいびきをかいていたけど、今はすっかり静かだ。

窓側手前には高島の同期、前田がいた。敷布団から外れて寝ているけど、これは寝相のためでなく初期設定。昨夜、布団に潜った時にはすでに半分眠っていた。「そこ畳だよ」と何度伝えても起きなかったから、高島は諦めて見過ごすこととしていた。

壁側奥は瓜生先輩だ。枕はどこにいったのか、敷布団に直接頭が乗っている。長い髪が横顔に広がってかかっていた。

壁側手前、出入口に一番近い布団を高島は使った。後輩だからと遠慮したわけではなく、順当に埋まっていったから。出入りする誰かに眼鏡を踏まれないか心配だけど、まあ、大丈夫だろう。

布団を抜け出し、顔を洗って戻ってきても、三人はまだ眠っている。しょうがないなあと苦笑して、高島は昨夜の宴会の名残を片付けはじめることにした。

研究室旅行(下見)、二日目の朝の話だ。

***

年に一度教員と学生が揃って旅行に出掛けるのは、都市環境学部、地球科学科、佐波島研究室の恒例行事だ。僕らの師事する佐波島先生は、よく日焼けした快活なおじさん准教授で、年は聞いたことないけれど、おそらく父親と同じくらい、あるいはそれよりもう少し歳上なんじゃないかと思っている。

学生からは佐波島旅行と呼ばれるこの旅行。行き先の計画や宿の手配など、一から十まで学生がやらなきゃいけない一方で、旅費はすべて佐波島先生持ち。お金のない学生にとって申し分ない娯楽だった。もちろん、参加は自由で希望制だ。

今年の旅行の話が持ち上がった時、旅行好きの瓜生先輩が真っ先に参加を表明して、三間先輩がそれに続いた。僕と前田だってもちろん参加希望だったから、学部の参加メンバーはすぐに決まった。
僕ら四人と、院生三人、それから先生。今年は計八人の旅行になりそうだ。

幹事は瓜生先輩が買って出てくれた。
こういう時、ちょっと手間のかかることをいつも進んで引き受けてくれるのは瓜生先輩だ。企画ごとや授業の課題だけでなく、例えば研究室にデカめの虫が出たときだって、先輩は笑いながら外に放つ。出会ったはじめこそ会うたびにこにこしていて掴み所のない人だと思っていたけど、今はそんなのんきなところも、それゆえのおおらかさも、瓜生先輩のキャラクターとしてすごく好ましいなあと思う。

行き先は、東北方面の温泉宿に決まった。湖を見よう、鍾乳洞を見に行こう、海鮮を食べよう。そういう案がぽんぽん飛び出すのは前田で、瓜生先輩は「いいねえ、それ」なんて言いながら計画に加えていった。

「四人で下見行かない?」

皆でわいわいと工程表を考えているうち、ふと思いついた顔で瓜生先輩が言った。

「下見ですか?」僕は繰り返して聞いた。
「だってほら、どう頑張っても行きたいところ全部制覇できないじゃん。だから、四人で下見として、トータルで踏破する」

それは下見とは言わないのでは。
同じ突っ込みを入れてくれたのは三間先輩だ。

「それ、下見ではないだろ」
「番外編ともいうね」

けらけら笑う先輩達に、「行きたい行きたい!」と前田は前のめりで食いついた。

「めっちゃ良いじゃないっすか!行きましょーよ!」
「はい、前田は参加ねー。えらいぞー」
「誰も行かないなんて言ってないだろ」
「僕も賛成です。行きましょう」

そういう流れで、下見と称した気楽な温泉旅行は決まった。佐波島旅行では新幹線を使う予定だが、安くおさえるために交通手段はレンタカーだ。ますます、下見とは名ばかりの計画になっている。申し訳程度に、宿は同じ旅館をとった。

高速使って片道五時間超。休憩しながら向かったから、実際には六、七時間かかっていたかもしれない。

宿につく頃にはすっかり日が暮れていて、長旅の疲れを癒すべく、荷物を置いたらすぐに温泉へ向かった。狭い賃貸マンション暮らしだから、足を伸ばして湯船に浸かるのは久しぶりだった。

長めの髪を高い位置でクリップでまとめた瓜生先輩は一見男湯には場違いに見えて、近くをすれ違ったおじさんが二度見すること数回。それに気付いた僕と前田は、こっそり顔を見合わせて笑いをこらえなきゃいけなかった。

宿の大広間で夕飯を済ませたあとは宴会だ。
主役は道中立ち寄った酒蔵で仕入れた日本酒と梅酒。コンビニで買ったビールやチューハイも冷蔵庫に控えている。つまみを忘れたことに気がついて、閉店間際の売店であわててアテになりそうなものを買い込みに行った。なんてことない普通の水が一本二百円で売られていたけど、そういえば水も持ってきていないことに気付いて皆で買った。

「近くにコンビニないから手前で水買っとくこと、だね。三間、メモしといて」
「おー」
「下見らしくなってきたじゃないの」

予約した和室は奥が一段の小上がりになっていて、布団が四組敷かれている。手前にテーブルの置かれたスペースがあり、隅には和座椅子と座布団が積まれていて、僕らはめいめいに居敷をこしらえた。

乾杯もしないままするっと飲み会は始まっていて、授業の話から誰々が付き合っているなんていう下世話な話、近々開幕予定のアイドルライブツアーの話まで、酒の肴は尽きることがない。

「あー!先輩、それつまみじゃないから!」

前田の慌てた声。見ると、眠そうな目をした瓜生先輩が、備え付けの煎茶を開けようとしていた。ティーバッグを破かれてしまったら片付けが大変だ。三間先輩はゲラゲラ笑うばかりでなんにも助太刀してくれない。おかしくなって、僕も吹き出してしまった。

「高島!これ、どっか片しとこ!」

酔っぱらいから煎茶を取り上げ、代わりにせんべいを押し付けた前田が声を張る。

「洗面台でいいかな」
「どこでもオッケー!」

お着きの茶菓子と煎茶セットの乗ったお盆をとりあえず避難させて、ついでになんとなく手を洗って居室に戻る。明日も予定があるし、そろそろお開きになりそうだ。

予想通り、それから間もなく酒も尽き、誰が言い出すでもなく散会となった。朝までずるずると飲み交わすのもいいけれど、旅先や締め切りのある時には自然と一区切りつけられるところも、僕がこの研究室のメンバーを好きだなあと思う理由のひとつだ。どんなに追い込まれたシチュエーションであっても長夜の飲となだれ込む研究室も少なくない。

「じゃ、明日は十一時チェックアウトだよー。ちゃんと起きよーねー」
「お前がな」
「りょうかいっすよ~」
「はーい。じゃあ、電気消しますよー」

暗い和室でふとスマホを見ると、まもなく日付が変わろうとしていた。風呂と夕飯が早かったから、まだこんな時間だったのかと驚いた。とはいえ、瞼はものすごい睡魔に落ちていく。
その日は夢も見ずに熟睡だった。

そうして迎えた二日目である。

「…………瓜生先輩、大丈夫だと思う?」

荷物をまとめた前田がそっと顔を寄せてくる。
朝食を終え、荷物を片付け、チェックアウトの時間まで前田の持ち寄ったカードゲームを広げている時だ。窓の外は、昨日に引き続いて抜けるような快晴だった。

「どうだろう。……二日酔いかな」
「いつももっと飲むじゃん、あの人」
「確かに」

僕らが案じているのは、二つ折りに畳んだ敷布団の上に臥せるように横になる瓜生先輩のことだ。
「これやりましょーよ」と前田がカードゲームを取り出した時は起きていた。「前田ナイスー」なんて返していた。それがいつの間にか離脱して、気付いた時には布団にうつ伏せになっていたのだ。

「三間先輩、三間先輩」

迷った僕は、もう一人の先輩に聞くことにした。

「お」
「瓜生先輩、大丈夫ですかね」

言いながら、奥の布団を指差す。

「眠いだけじゃねーのかなあ。後で聞いてみるかな」
「お願いします」

寝不足なだけだといい。きっとそうだ。そうは思いつつ、ゲームに興じる僕らの声は心なしか控えめになった。先輩、朝ごはん食べてたっけ。

手札が回って親が三巡したころ、奥の布団が動く気配がした。三人示し合わせたようにはっと見やると、瓜生先輩が肘を支えに上体を起こすのが見える。のっそりと体を起こした瓜生先輩は、僕らの視線に気付いて「ええ?」と苦笑いを浮かべた。

「急に静かになったから、こいつら心配してたぞ」

言いそびれてしまうことはみんな三間先輩が言ってくれる。ガサツだし鈍感な先輩だけど、だからこそ真っ直ぐ一直線な人だと知っていた。

「ごめんごめん」

瓜生先輩がこちらを見て片手で謝る。そんな風に、謝ってほしいわけじゃないのに。

「別にいいっすよお。それより、先輩、大丈夫ですか?」

前田の素直な問いにつられたのか、瓜生先輩も素直に首を捻る。

「うーん。なんか、調子悪い」

答えながら、脱力したようにまた布団の上に臥せてしまう。

「えっ、ちょっと、そんなヤバいんすか!?」
「嘘、嘘。だめではないけど、さっきちょっとヤバかった」

こういう時、僕は「大丈夫ですか」以外の言葉を知らない。うつ伏せになった先輩の顔が見えないから、どれくらい「ヤバい」のかも分からない。かけるべき言葉が見つからなくて、僕は空気を飲み込んだ。

「今日、鍾乳洞やめとくか?」

そうだなあ、と、なんでもない風に三間先輩が聞く。今日は旅館を出たあと、県内の鍾乳洞を見に行く予定になっていた。

「どーだろ……。たぶん、いけると思う。行きたいし」
「とりあえず精算だけ済ませようぜ。その後考えよう」
「え、いま何時……うわっ、もうこんな時間」
「瓜生お前、下に座れるとこあったろ。ちょっとくらい寝てたって文句言われねーよ」

気付けばチェックアウトの時間が迫っていた。
ご当地キャラクターのキーホルダーがぶら下がったルームキーを持って、三間先輩がコートを羽織る。前田はそっと瓜生先輩の肩をつつき、「大丈夫すか?」なんて声をかける。僕は先輩の荷物を持った。

「三間先輩、僕らで瓜生先輩の荷物も持ってくんで、先精算行っちゃってください。会計混むと思うんで」

四人の中で僕だけ荷物を背負えたから、瓜生先輩の旅行鞄を持っても片手があく。「おー。悪いな。先行ってる」三間先輩はそう言って部屋を出ていった。

「ほんと、ごめんね」

言いながら起き上がった瓜生先輩に、いそいそと上着を運ぶのは前田で、先輩がのろのろと袖を通すのを見守っている。
なんか、相当しんどいんじゃないだろうか、この人。僕と前田はたぶん同じ気持ちで目を見合わせた。

狭い廊下だったから、前田と僕で先輩を挟んで縦一列になって移動する。僕らの適当な会話に時折相槌を挟んでいた瓜生先輩だったが、口数が徐々に減っていく。エレベーターに乗り込んだ後は俯いて、ついに口を閉ざしてしまった。

手の甲で一度、口もとを拭う。その手は開いた上着の前を握った。

古いエレベーター。内臓がウワッと浮く感じ。
体調悪い時にこれ、嫌ですよね。でも、六階から階段使って降りるんだったら、こっちの方がいいと思ったんです。

半分、弁解するような思いで、猫背になっていく先輩の横顔を見た。結ばれないままの髪の毛が無造作に流れている。僕の方が少しだけ身長が低いはずだけど、今は目線がほとんど同じ高さにある。視線の行き場を失って、僕の目は上着のフードに絡まる先輩の毛先を見ていた。

「……ふ、…………っ……………」
「…………」
「…………」

このまま、戻してしまうんじゃないかとひやひやする。
吐いてしまったって、僕らはべつになんとも思わないけど、本人の受けるダメージの方が何十倍も大きいと思ったから。

僕も前田も何も言えなくて、耳は瓜生先輩の堪えるような息遣いだけを拾ってしまって、先輩が気の毒で仕方がない。

そうしているうちに一階についた。床に視線を落としていた瓜生先輩が微かに顔を上げる。前髪が被さってしまって顔の下半分しか見えなかったけど、真っ白に血の気が引いているのははっきりと見てとれる。

エレベーターを降りた足で、先輩は吸い込まれるようにトイレに入っていった。エレベーターのすぐ近くにあって良かったと思う。なにも言わずに離れて行ったのは、たぶんそんな余裕がなかったから。

僕らはその背中を追うことなく、トイレの外で待つことにした。誰かが使おうと入ってお互い気まずい思いをしないよう、見張っていようと思ったのだ。

幸い、使おうとする人はおろか、受付と反対側にあるこのトイレに近付く利用客もおらず、会計を終えた三間先輩は僕らを見つけやすかったようだ。真っ直ぐにこちらに向かってくる。

「瓜生は?」
「トイレです」僕はすぐ後ろを指差して言った。「たぶん、吐いてるかも……」
「あちゃー」

三間先輩がガシガシと頭をかいた。僕を越えてトイレの出入口の方を見る。申し訳なさそうに眉根を寄せて。

「昨日運転させすぎたかな。疲れてんのかもしんねーな」
「運転疲れ?」高島は怪訝そうに首をかしげる。
「疲れっつーか、集中切れっつーか。あいつ、瓜生、集中し過ぎたあと、たまーにすんげえ調子崩すんだよ」

確かに昨日の道程は、下道を三間先輩が、高速を瓜生先輩が担っていて、つまるところ、概ね瓜生先輩の運転でここまで来た。助手席兼ナビ係は前田で、僕は後部座席で前の二人にお菓子を渡したり、飲み物を渡したり。徹夜明けだという三間先輩は三列目のシートで熟睡していたんだった。荷物もあるからと、四人で七人乗りミニバンを借りていた。

とはいえ、前田のふざけた話に笑ってアクセルを踏みすぎてしまってまた大笑いしたり、でっかいサービスエリアに停まった時はすごくはしゃいでいるようにも見えた。そんなに疲れが溜まっていたなんて、少しも気付かなかった。

「えー、じゃあ、三間センパイのせいじゃないっすかー」

前田が冗談みたいな調子で三間先輩を肘でつつく。

「センパイがぐーすか寝てるから~」

三間先輩はというと、「げっ」とか「うっ」とか言いながら、大げさにのけ反った。

「ごめん、お待たせ」

二人の応酬に紛れるように瓜生先輩が戻ってきて、僕らはちょっとだけ慌てた。誰のせいとか、本気で話してたわけじゃないんだけど、誤解しなかったかな。

「先輩すみません。今の話、本気じゃないですよ」

玄関ホールのソファに座らせようと腕を引っ張る僕の弁明に、瓜生先輩は「分かってるよー」と、眉を下げるような、いつもの調子で笑った。

「先輩、大丈夫ですか?」

大丈夫ですか。僕はようやくそれを聞けた。
顔色は悪いものの先輩の声や目に覇気が戻ってきて、足取りもずいぶんしっかりしていることが分かったから。
大丈夫と判らないと、臆病な自分は大丈夫かなんて聞けない。

「気ぃ遣わせてごめんねえ。二人ともありがと」
「ぜんぜん。僕は何も」

首を振ったところで、僕らの間に何かがぬっと割り込んできた。水のペットボトルだ。
いつの間にかこの場を離れていた三間先輩が、四本のペットボトルを抱えて戻ってきた。ラインナップは水と麦茶、コーラ、リンゴジュース。

瓜生先輩は受け取った水を一口飲んで、ほぐすように体を伸ばす。

「もー大丈夫。水ありがと」
「おー」
「まっさか吐くとは思わなかった。自分でも」
「笑い事じゃないっすよ!」

いつも通りのからっとした笑顔。髪の毛はおろしたままだったけど、もう大丈夫そうだな、と見て分かる。

───先輩、夜、吐いてましたよね。

だから、浮かんだ言葉は麦茶と一緒に飲み込むことにした。

昨日の夜。微かな物音で目を覚ました。寝入って間もなくだったから、意識は浅い微睡みの中にいた。暗がりの中、奥の布団が捲れてあがっているのがぼんやりと見てとれる。確か、瓜生先輩の布団だったと記憶を辿る。

トイレかな──そう思って再び目を閉じた時、ガタンと大きな固い音、それにカエルの潰れたような声が続き、僕は文字通り飛び起きた。

低くくぐもった、声というより喉から直接響くような、不自然な音。それから、水っぽい嫌な音。

(───え、うそ。まさか吐いてる?)

びっくりした。

瓜生先輩、そんなに酒強くないけど、そのくせけっこう飲むんだけど、でも、酒で吐いた姿なんて見たことない。

瞬きも忘れて先輩の消えた引き戸の向こうを見た。

枕元の眼鏡を掴む。
様子、見に行った方がいいかな。行かない方がいいのかな。気付かれないように出ていったんだとしたら、誰かに、しかも後輩なんかに来られたら嫌かもしれないし。

躊躇っているうちに水の流れる音がして、あわてて布団に潜り込む。心臓がバクバクと盛大に脈打つ。手の中で眼鏡がカチリと鳴った。

ややあって扉がそうっと開くのが分かって、追わなくて良かったと一層身を縮める。瓜生先輩は足音も立てずにもとの布団に収まった。何度か寝返りをうって、寝心地のいい場所を探っている気配。

(───びっくりした。………良かった、………大丈夫そう)

静かな寝息が聞こえてきて、僕の心臓はようやく落ち着きを取り戻した。

眠くなってきた。もう一回寝よう。

それからすぐに眠りに落ちて、夢も見ずにぐっすりだった。けれど、昨夜の真っ暗な数分間が頭から離れることはなかったし、普段と変わらなく見える先輩が、言ってしまえば心配で、ずっと気になって仕方がない。畳んだ布団に臥せる姿を見て、「やっぱり、夢じゃなかったんだ」と、一人で答え合わせをしている感覚だった。

「───でさ、ごめん。今日、このまま帰りたい」

瓜生先輩の声にはっとする。ぼんやりしていた。三人、今日の予定を話していたみたいだ。

「思ってたより疲れたみたい」「おかしいなあ、歳かなあ」と、本当に不思議そうな調子の呟きが続く。この人、自分が疲れてるとか、なんか調子が悪いとか、もしかして物凄く無頓着なんじゃないだろうか。

「当たり前だろ。とっくにそのつもりだよ」
「三間、悪いんだけど運転お願い」
「おう。……ただ、俺、教習所以来の高速だから、覚悟してくれ……」
「ウソ。怖すぎ」
「ちなみに、先月擦った」
「いっ、いざとなったら俺も免許ありますよ!」
「え、前田免許持ってた?いつ取ったの?」
「…………9月っす」

高島は?と三人の目が僕を向いた。みんな、目も、口も、顔全部で笑っているんだから敵わない。僕があれこれ考えてるのがバカみたいじゃないか。

「僕免許持ってないんですよ。助手席頑張ります」

意図せず無茶しちゃう先輩と、先月にはホイールを擦るような運転をしている先輩と、免許取り立て初心者マークの友人と。僕も免許、取った方がいいのかもしれない。
この危なっかしい顔ぶれと、来年も旅行に行きたいから。

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