体育祭 当日 3

甲高いホイッスルが鳴り響く。
頬に鈍い痛みを感じるのと、体が床に落ちるのは同時だった。
バレーボールが床を転がる。
駆け足で審判が寄ってきた。

「君、大丈夫か」

平気です、そう言おうとしたが、口から漏れたのは何とも情けない呻き声だった。
足をおかしな方向に捻ったらしい。
まともにボールを受けたので、口の中で血の味がした。

同じコートに居た人は、迷惑そうな目で静観していた。
あの目をずっと前から知っていた。
「こんな奴居たっけ」と、無言で伝える瞳。

「動けないだろう。誰か、保健室に…」

審判が周囲を見渡したので、慌ててそれを遮った。
その続きも知っていたからだ。
誰もそんな面倒なことをしたくない。
付き添いの押し付け合いが始まる前に、一人で行けますと告げた方がいい。
そうかと審判は頷いて、定位置に戻る。
試合再開のホイッスルが鳴らされた。
同じ笛のはずなのに、どこか浮いて聞こえたのは気のせいではないはずだ。

一人で体育館を後にする。
知らない校舎の行ったこともない保健室へ向かって。
誰の視線も感じないのも、もう慣れた光景だった。

それから途中で二人に行き方を訪ね、痛む足を引き摺ってようやく保健室に辿り着いた。

ドアを開けると、クリーム色のカーテンが揺れていた。
空調が効いている。薄手のレースの向こうから、柔らかい光が差し込む。
外とはまるで別世界にいるようだった。

(誰も…居ないのか…)

戸棚のガラスの向こう側、包帯や湿布が重なっているのが見えた。
勝手に取り出していいものか。
少し悩んで、別に急ぐ理由なんてないのだと思い知る。
ずっとここに居られれば、競技に参加して誰かの迷惑になることもない。

そう考えた時だった。
がさりと物音がして、激しく咳き込む声が聞こえた。
はっと顔を上げると、ベッドのカーテンは一つだけ閉じられていた。
誰もいないと思っていただけに、苦し気なその声はやけに響いて聞こえた。

この部屋には、自分しか居ない。
慌ててカーテンを掴んだ。
そして勢いよく腕を引く。

「ねえっ、大丈夫?」

華奢な背中が不規則に上下していた。
シーツには濁った吐瀉物が広がっている。
駆け寄ってその背を擦った時には、何の根拠もなく年下だと思っていた。

不意に顔を上げた目の前の生徒と、目が合う。
ただ驚いた様子の顔に、何かが滲む。

記憶の底で直感した。

滲んだ怯えは、瞬く間に彼の全身を侵食していった。
目を見開く。
色素の薄い綺麗な瞳が、目一杯に自分を捉えた。

逃げ出したいのはこっちだった。
自分は本物の、臆病者だ。

「……岩林…」

音を遮断する。
時間が逆流する。

彼の唇から零れたのは、自分の名前。

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